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ふじばやし しんじ

藤林伸治

ふじばやし しんじ

1922.9.26(大正11)〜 1994.5.2(平成6)

昭和・平成期の映画監督、演出家、市民運動家

埋葬場所: 24区 1種 12側

 群馬県富岡市出身。藤林房蔵・勇記恵(共に同墓)の長男。本名は純一。東京府立第5中学校卒業。東亜同文書院中退、大東文化学院東洋哲学科卒業。
 1952(S27)日本ドキュメントフィルムに参加。'69よりフリーとなる。'70『奥飛騨・日本の心』で初演出。主にドキュメンタリー映画制作に携わり、主な作品に『明るい町』『秩父事件』『われわれは監視する』『ドキュメント群馬事件』などがある。'76ドキュメンタリー映画に焦点を当てた映画祭である「ライプツィヒ国際映画祭」で金鳩賞受賞。
 '81青銅プロの同人になる。フランス人の画家のジョルジュ・ビゴーは明治時代に日本で17年間にわたり活動を行い、当時の世相を伝える多くの絵を残した人物として知られるが、そのビゴーをテーマとした『ショッキング・オ・ジャポン ―ビゴーが見た明治の日本―』の監督・脚本を手がけ、'84青銅プロより発表。その年の文化庁芸術祭賞の日本記録映画・動画の部で優秀賞を受賞した。享年71歳。

<物故者事典など>
<文化庁歴代芸術祭賞>


*墓石は和型「藤林家之墓」。左面に「自由民権百年 1981年3月建之 藤林国枝 藤林伸治 藤林敬子」と刻む。裏面が墓誌となっており、「純一 ペンネーム 伸治」と没年月日、享年が刻む。


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