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ほった かなえ

堀田 鼎

ほった かなえ

1883.9(明治16)〜 1942.2.24(昭和17)

明治・大正・昭和期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 22区 1種 75側

 福島県安積郡河内村(郡山市)出身。堀田喜左衛門の5男。兄に内務官僚・警視総監の堀田貢がいる。
 1908(M41)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。'11.11 文官高等試験行政科試験に合格。'12 東京帝国大学法科大学獨法科卒業し、内務省に入り土木局属となる。
 '17(T6) 山口県内務部土木課長に就任。以後、東京府、千葉県の各理事官を歴任。'21 ジュネーヴで開催された第3回国際労働総会に政府代表随員として出席。その後、'22 静岡県警察部長、茨城県内務部長、和歌山県書記官 内務部長、愛知県書記官 内務部長を務めた。
 '28(S3) 第23代滋賀県知事に就任(任期:1928.6.29〜1929.9.10)。次いで、'29 第29代 群馬県知事に就任(任期:1929.9.10〜1931.6.27)。時はあたかも「昭和初期の不況」さ中であった。そのため六年度の予算を思い切って切り詰める緊縮財政方針を打ち出した。'31 第23代千葉県知事に就任(1931.6.27〜同.11.9)。就任した2カ月後の9月に満州事変が起こり、日本は非常時体制へ突入の時期で社会は騒然とした。この間、'29 ノルウェー皇帝より勲章を授与された。
 '32.3 台湾総督府交通局総長に就任。'36.10 辞任し退官した。在任中、'35.6.17 台湾建国40周年記念式典を盛大に開催した。従4位 勲3等。享年58歳。

<日本歴代理事総覧>
<日本官僚制総合事典>
<人事興信録>


*墓石は和型「堀田家之墓」、裏面「昭和十八年二月 堀田亨 建之」。右側に墓誌が建つ。堀田鼎から刻みが始まり、戒名は至誠院大心徳哉居士。行年は六十才と刻む。妻は富美(M27.10-S62.4.20)は東京出身で平野津類の長女。長男は亨(T10.1-H2.7.22)。


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