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ほんだ いしろう

本多猪四郎

ほんだ いしろう

1911.5.7(明治44)〜 1993.2.28(平成5)

昭和期の映画監督

埋葬場所: 改葬→富士霊園
20区 1種 23側

 山形県出身。1933(S8)日大芸術学部卒。その前年の'32PCL(のち東宝)に助監督として入社。 戦時中は軍隊生活。復員して、'51『青い真珠』で劇映画初監督。 特殊撮影に関心をもち、特技監督円谷英二(府中カトリック墓地)と組んで'54『コジラ』、'57『地球防衛軍』、'61『モスラ』、'65『怪獣大戦争』などを監督して怪獣映画ブームとなり、海外でも知られた。 黒澤明監督とは助監督時代からの親友で、「野良犬」では助監督をつとめ、「影武者」では監督部チーフ、「乱」「夢」では演出補佐の肩書きで黒沢監督を助けた。享年81歳。

<芸能人名事典>
<森光俊様より情報提供>


*墓石正面は「本多家之墓」。墓誌には「本多猪四郎 平成五年二月二十八日 行年八十一才」と刻む。
碑があり『本多は誠に善良で誠実で温厚な人柄でした  映画のために力いっぱいに働き十分に生きて本多らしく静かに一生を終えました  平成五年二月二十八日 黒沢明』と刻む。


*2007年8月、本多猪四郎氏の長男の本多隆司様より、多磨霊園20-1-23から富士霊園に改葬された旨のご連絡を頂き、改葬された理由も頂戴いたしました。
「父の生涯を通じて一番多くの思い出があり、仕事でも繋がりがあったのが御殿場、富士でした、そして親友の黒澤明氏とも一番長い時間二人で過ごしたのが御殿場でしたので移したのです。」
 なお、「歴史が眠る多磨霊園」は著名人をきっかけとして当時の歴史、その人物、作品などを通して学んでいくということがコンセプトであるため、ご遺族のご許可を取った上で、本多猪四郎氏のページを残すことにします。


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