歴史が眠る多磨霊園 |
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北守政直 | |
ほくしゅ まさなお | |
1854(安政5)〜 1940(昭和15) | |
明治・大正期の官吏、函館区長 | |
埋葬場所: 21区 1種 27側 | |
通称縫人、また清次郎。北守良太郎と政智の嫡子として生れた。北守家は御新丸番頭家格で家禄二百五十石。政直は1870(M3)2月に家督を相続、盛岡藩權大属となった。同年免官。 1876岩手県に出仕、地租改正係雇となる。その後県税係となるが、1878開拓使函館支庁に出向して会計課に配属される。 翌年、民事課に勤務。1880岩手県からの出向停止なり、新たに開拓使に採用されて准判任官に任官、函館支庁民事課勧業係となる。 同年会計課統計係兼記録課編纂係に転任。1882開拓使廃止により開拓使会計等の残務整理に従事す。 同年函館県に出仕、九等属に任ぜられて兵事課に勤務す。1886函館県等を廃止して北海道庁が設置される。これに伴い北海道庁属函館支庁在勤となり、同年判任官八等に叙される。 1887北海道函館区書記、1894函館築港審査委員、次いで函館港検疫官、1896依願免官。台湾に移って台北県属となり内務課兼財務課会計科勤務。 1898内務部所務課長心得兼知事官房係長心得、養済院長心得となり、内務部庶務課及び官房秘書課兼文書課を兼務す。 1899知事官房秘書課長兼文書課長となり、土語通訳兼掌者試験委員、巡査看守懲罰審査委員を勤め、同年依願免官。 1900再び北海道に戻って函館区助役となり諸職兼務す。1910函館区長(現市長に相当)。1916(T5)満期退職。その後も各方面に活躍し1940(S15)死去した。享年83歳。 <「近世こもんじょ館」 *墓所内墓誌には勲6等と刻む。子の北守政一にも勲6等と刻まれている。 | |
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