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ひるた ゆたか

蛭田 饒

ひるた ゆたか

1915(大正4)〜 1994.11.23(平成6)

昭和期の水晶振動研究家

埋葬場所: 4区 2種 26側

 父は陸軍中佐の蛭田岱次郎(同墓)。兄の實(同墓)が早世したため、二男の饒が跡を次いだ。
 1940.3(S15)京都帝国大学理学部地球物理学科卒業。同.4 海軍艦政本部に入る。戦後、'50.1 電波庁電波部に入庁して以来、'75.6 退官するまで一貫して水晶振動子の改善による発振周波数の高安定化に関する研究に従事した。
 この間、'52 電波庁から郵政省の付属機関となった電波研究所(通信総合研究所)水晶振動研究室・第四特別研究室長として標準電波の確度と安定度の向上に対し極めて顕著な功績をあげた。'61 論文「標準用水晶振動子の研究」で理学博士。
 退官後も金石舎常務取締役開発部長として広い見識と深い経験をもとに無線通信機用水晶発振器と時計用水晶振動子の高安定化と普及に尽力した。
 '85.11 多年にわたって高精度水晶振動子の研究開発並びに周波数標準用水晶時計の基礎を確立した功績により、勲4等瑞宝章受賞の栄に浴された。行年79歳。

<「テレビジョン同期放送を取り巻く環境」石川嘉彦>


*墓石は和型「蛭田家之墓」、裏面「昭和四年六月二十九日 蛭田岱次郎 室 満 嫡子 實 建之」。左右面は墓誌となっている。左面に父「初代 陸軍砲兵中佐 従五位 勲四等 蛭田岱次郎(S3.10.29歿・享年46)」。兄「二代 蛭田 實(S17.3.1歿・享年29)」。母は蛭田まん(S48.9.18歿)。右面「三代 理学博士 従四位勲四等 蛭田饒」。妻は温子(H27.12.11歿・行年93才)。


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