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ひろせ ちょくかん

広瀬直幹

ひろせ ちょくかん

1875.1(明治8)〜 1936.5.2(昭和11)

明治・大正・昭和期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 21区 1種 20側

 香川県出身。豊田官吾の二男として生まれる。先代とせの養子となる。
 1898(M31)東京帝国大学法科卒業。1905文官高等試験に合格。栃木県警視、北海道・群馬・和歌山各庁県事務官を経て、内務書記官から長野・徳島・長崎各県内務部長を歴任した。 '19.8.20(T8)第15代宮崎県知事に就任〔任期:1919.8.20-1921.6.3〕。 約1年10ヶ月の任期中に、飫肥中、妻中の創立争いで県議南北分裂、そのうえ知事が引継ぎに失敗、前知事の堀内秀太郎の飫肥中内定が覆ったため県会が紛糾した(ドビン事件)。 また、県外送電反対運動に批判的立場を取る(後任の杉山四五郎知事は賛意の立場を取った)。関東庁内務局長に転じた。正5位 勲4等。

<日本歴代知事総覧>
<森光俊様より情報提供>


 


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