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ひらの かずつら

平野一貫

ひらの かずつら

1857(安政3.12.12)〜 1930.10.5(昭和5)

明治・大正・昭和期の薬学教育者

埋葬場所: 5区 1種 1側

 熊本県出身。寺島蘭痴の二男。兄は寺島晋齋。1883.10(M16)平野勝禮の長女の敏子(同墓)と結婚し婿養子となる。1897.9 家督を相続す。
 1882.6 東京大学製薬学科を卒業。1886 薬学講習所を創立。1888 薬学講習所は東京薬学校と合併し、私立薬学校が設立される。1900 私立薬学校は私立東京薬学校に改称している。
 1896.5 第一高等学校教授に任ぜられ、1901.4 千葉医学専門学校教授に転じる。生薬学研究のためドイツに留学した。
 主な著書に『欧米売薬集珍』(1901)、『新撰薬用植物図譜』(1910)、『薬学辞典』(1915)、『香粧品製造法』(1914)、『欧米和漢売薬集珍』(1926)などがある。正4位 勲3等。享年72歳。

<東京薬科大学沿革>
<人事興信録>


*墓石は右側に二基並び、左に和型「正四位 勲三等 平野一貫之墓」、裏面「昭和十一年一月五日 平野亥一 建之」。左面が墓誌となっており、一貫の戒名は表川院殿通醫二貫居士。妻は 敏子(安政3.7-S14.6.21)、平野勝禮の長女。右側に和型「平野家之墓」、裏面「昭和五十四年七月 平野綏 建之」。左面は墓誌となっている。長男の平野亥一(S52.10.2歿・行年78才)らが刻む。墓所左側には吉三郎尉源勝直と刻む墓石や五輪塔など古い墓が4基建つ。

*孫の平野綏(ひらの やすし)は農学博士で茨城大学名誉教授で蘭の研究の第一人者。


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