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ひらかわ へいごろう

平川平五郎

ひらかわ へいごろう

?〜 1909.5.14(明治42)

幕末・明治期の顕彰運動家

埋葬場所: 5区 1種 51側

 鹿島田村(川崎市幸区鹿島田)出身。榎本家の次男として生まれる。後に川崎宿で雑貨屋や焼き物業を営むの平川家へ養子に入った。普段は小間物商(日用品などを売る店)を営みながら下記を尽力した。
 1869(M2)明治天皇が京都から東京に遷幸された際、多摩川に渡御のための船橋が架けられ、平五郎も肝煎としてこの仕事に従事した。
 また、泉田二君顕彰運動に尽力した。泉田二君とは江戸時代の川崎において二ヶ領用水の開削に尽力した小泉次太夫と多摩川を含めた大改修を行った田中休愚の二名のことであり、川崎における「水恩の人」である二名の功績を紹介する顕彰運動の中心人物として尽力した。あわせて田中休愚に関する古文書などを蒐集するなど、地域文化に貢献するとともに、小泉と田中の二人を川崎の歴史の中に甦らせた。

<近代川崎人物伝など>


*墓石は和型「平川家 / 大澤家 之墓」。右面が墓誌となっており、戒名は顕正院法因日満居士。妻は登利。同墓には大澤晃(H21.9.14歿 75歳)も眠る。

*生年が人名事典によって異なる。1831(天保2)、1855(安政2)という説があり、また墓石には行年69歳と刻むので、没年から引くと、1940(天保11)となる。

*「泉田二君功徳碑」(「水恩の碑」)は川崎の妙遠寺に建つ。

※墓所は川崎区の一行寺。なぜ多磨霊園にあるのか、もしくは同姓同名で没年も同じである別人であるのか不明。詳細をご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。


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