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ひらい ようきち

平井庸吉

ひらい ようきち

1872.1.29(明治4.12.20)〜 1947.3.20(昭和22)

明治・大正・昭和期のキリスト教指導者

埋葬場所: 8区 2種 1側

 明石出身。同志社(1887〜89)、東京専門学校文学科(1891〜93)で学び、河合禎三に誘われて、オルダム,L.のバイブルクラスに通い、1896(M29)受洗。 ガイ,H.Hとマーシャル,F.(Marshall,Frank)の下で、神学を学んで伝道者となり、1898〜1909東京や大阪の基督教会派(ディサイプルス派)の教会で牧会、伝道に当たった。 女子聖学院院長クローソン,B.F.の懇請で、'09同学院の教頭に就任してクローソンを助けた。
 '24(T13)同院長となり、石川角次郎召天後、聖学院中学校長を兼任(1932〜40)。 また、小石川(小岩)教会(1909〜11)、瀧野川教会(1911〜26)の牧師を務めた。急性肺炎のため召天。享年75歳。

<日本キリスト教歴史大事典>


墓所

*円球塔の台座に「平井家之墓」、台座の左面「昭和六年九月建之 平井庸吉」、裏面「平井庸吉 七十七才 昭和二十二年三月二十日 昇天」、右面が墓誌となっている。庸吉の三女の可能(3才)、欣一長男の正美(3才)、庸吉の長女の百合(48才)、庸吉の妻の勝美(S50.8.13昇天・95才)、庸吉の長男の英一(S62.7.18昇天・71才)、英一の妻の千枝子(H24.6.18昇天・90才)が刻む。


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