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ひらべ ていいち

平部貞一

ひらべ ていいち

1865(慶応1.11.11)〜 1928.10.4(昭和3)

明治期の海軍軍人(機関少将)

埋葬場所: 6区 2種 25側

 宮崎県出身。陸軍会計二等副監督(従6位 勲4等)を務めた平部朝致(M12歿・同墓)、八重子の長男。1885(M18)海軍機関学校(旧3期)卒業。同期に水谷叔彦(後に少将:7-1-13)がいる。
 春日、金剛、筑紫乗組を経て、海軍少機関士となり、以降も葛城、比叡、磐城、迅鯨、金剛、高千穂乗組を務めて、水雷主機となり、1889.8.28海軍大機関士。1891.8.16浪速水雷主機、横鎮兵器部主幹、厳島乗組・水雷主機、赤城機関長、対馬水雷隊攻撃部機関長・水雷主機・敷設部機関長を歴任し、1895.12.27機関工練習所教官 兼 部長に任ぜられ、後に分隊長も兼務した。
 機関術練習所教官、1897.12.1海軍機関少監に昇進し、翌年より千歳回航委員として米国出張。1898.6.28海軍機関中監に累進し、同.10.27千歳機関長、1899.4.20帰着し、同.6.18横鎮機関部部員、翌年より横須賀予備艦部機関長、横鎮艦政部部員を兼務した。
 1900.6.23松島機関長、1901.2.4吾妻機関長、1903.5.16三笠機関長、'05.1.12海軍機関大監に昇進し、同.9.25佐鎮附、同.12.12機関術練習所長に就任した。'06.1.26海軍機関大佐に進み、'07.4.22機関術練習所が工機学校へ変更に伴い初代校長となる。同.12.10第2艦隊機関長、'08.12.10呉鎮予備艦隊機関長、'09.12.1旅順工作部長 兼 機関長、'10.12.1呉鎮機関長を務め、'11.12.1機関少将に昇格し、佐鎮機関長に就任した。'12.12.1(T1)待命、'13.5.31予備。'24.12.20少将、'26.11.11退役。従4位 勲3等 功4級。享年62歳。

<日本海軍将官総覧>
<帝国海軍提督総覧など>


*墓石は和型「平部家之墓」。墓誌があり、海軍少将の刻みが見れる。妻は余田。


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