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ひらばやし ひょうご

平林彪吾

ひらばやし ひょうご

1903.9.1(明治36)〜1939.4.28(昭和14)

昭和期の小説家

埋葬場所: 6区 2種 22の2側 5番【松元家】

 鹿児島県出身。本名は松元實。日本大学建築科卒業後、現場監督などを務めた。改めて社会学科に入学。同人誌「大学前衛」同人となり文学を志す。1927(S2)8月国分の士族出身の三嶋信子と結婚。
 '31日本プロレタリア作家同盟に参加。「文学新聞」編集に従事した。'34筆名を平林彪吾とする。'35『鵜飼ひのコムミュニスト』が「文芸」懸賞小説に入選。 '36「人民文庫」に参加、同誌に『肉体の罪』を発表し、人民文庫賞。その他、『震撼された易者』、『女の危機』、『血の値段』などを発表したが、生活は苦しく血を売って小説を書き続け、そのため死期を早めた。敗血症で逝去。享年35歳。没後'40遺作集『月のある庭』が「人民文庫」同人の努力と火野葦平の好意で出版された。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>


*墓石は和型で「秋元家之墓」。右面に俗名「松元實」と没年月日、行年(37歳)が刻む。戒名は刻まれていないが「釋彪隆信士」である。墓石は昭和五十一年春に長男の松元眞の建之。

*長男の松元眞はジャーナリストでテレビ朝日元報道局長を務め、『父、平林彪吾とその妻のこと』の執筆者である。この文章から抜粋紹介したい。

 一年もの間、父の遺骨は母の小机の上に置かれたままであったが、昭和十五年五月、母は遺骨を築地本願寺の納骨堂に預けた。 昭和二十九年、母は多磨霊園に念願の墓地を買った。戦災、終戦を挟み、築地本願寺に預けっぱなしにされていた父の遺骨は、ようやく土の下に入った。父の親しかった友人数人に立ち会って頂き、無事納骨式も行った。しかし、墓地を所有するのが精一杯の母に、石碑を建立するだけの余裕はなく、やむなく木の墓標にとどまった。二十年が過ぎた。その間、二回にわたり木標は作り変えた。


*松元眞は『杜父魚文庫』『高井教室』『同人誌「13時」』などで現在筆を奮っている文筆家である。 1998年『同人誌「13時」』内の『骨』という作品では、娘二人で継承者がいなく、散骨を懇願しようかと迷う苦悩が執筆されている。 松元眞氏はご健在であるが、今後どのような形で継承されていくのであろうか。娘が継承することも可能であるが...。


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