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ひこさか しんきち

彦坂震吉

ひこさか しんきち

1868.1.31(明治1)〜 1934.7.8(昭和9)

明治・大正・昭和期の刀剣学者

埋葬場所: 25区 1種 26側

 羽後国平鹿郡里見村(秋田県平鹿郡里見町)出身。秋田藩主の佐竹公の蘭学を修めた藩医として13代続く家柄で生まれる。
 上京し、第一高等学校、東京帝国大学医学部へ進んだが、美術、特に刀剣類に対する熱情止み難く、大学を中退して渡独。ベルリン大学にて美術を専攻し、当時稀有とされたプロフェッサーの称号をドイツ帝国より授与された。後にドイツに帰化。
 ハンブルグ美術館東洋部部長として、また時の独裁者アドルフ・ヒトラーを嫌悪し、平和主義者として、特に日本古来美術品の海外紹介に多大な貢献をした。享年66歳。
 墓所はドイツのハンブルグ郊外にある。没後、震吉の著書は代々木にある刀剣博物館に寄付された。

<墓碑より>


【父に想う】
 お父さんが現世を去られすでに五十年の年月が経過、やっとここに御魂を迎へる事が出来ました。義母アンナさんが本年五月三日に天に召され、又偶然にもお父さん死後五十年にあたります。お父さんが生前強く希望された奈良の地にお迎へ出来ず申し訳なく存じますが、どうか当地にて、お父さん、お母さん、夫と心の会話をして下さい。そしてゆっくりと心を休めてください。

<昭和五十九年七月八日 震吉の没後五十年に際し、
彦坂震吉の子の彦坂愿三の妻である彦坂吉栄が記之>


墓誌

*墓石は和型「彦坂家之墓」。右側に彦坂震吉に関してのことを刻む墓碑が建つ。墓石の左面が墓誌となり、震吉の子の愿三や、墓碑を建てた吉栄らの刻みがある。吉栄は平成八年に九十五歳で没している。

※墓碑より彦坂震吉はこの地には眠っていないが、没後50年にて墓碑建立や御魂を迎へていることなどから、また彦坂震吉の功績を広く知っていただくために「歴史が眠る多磨霊園」で掲載をすることにする。


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