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ひぐち どうぎゅう

樋口銅牛

ひぐち どうぎゅう

1865.12.20(慶応1)〜 1932.1.15(昭和7)

明治・大正・昭和期の漢学者、書家、俳人

埋葬場所: 8区 1種 16側 20番

 筑後国久留米出身。本名は樋口勇夫、別号を得川、東涯。父は旧久留米藩士漢学者の源深。鹿児島県立二中で教鞭をとり、のち九州日報記者となる。 1908(M41)東京朝日新聞社会部に入社。中塚一碧楼とともに「朝日俳壇」選者をつとめた。「漢字雑話」などの読物も連載。'12(T1)退社後は、早大、国学院大、法政大学等の講師をつとめた。 著書に『俳句新研究』がある。書家としても名高く、泰東書道院総務の職にもあった。

<詩歌人名辞典>
<MATSU様より情報提供>


 


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