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はやし きゅうじろう

林 久治郎

はやし きゅうじろう

1882.10.17(明治15)〜 1964.7.23(昭和39)

明治・大正・昭和期の外交官

埋葬場所: 10区 1種 4側

 栃木県下都賀郡壬生町出身。1903(M36)早稲田大学英語政治科卒業。'06外交官試験に合格し、'07外務省に入省。同期に後に総理大臣になる吉田茂や広田弘毅らがいた。天津、済南各領事、駐英大使館二等書記官を経て、'19(T8)福州総領事、'23漠口総領事、'26駐シャム(タイ)特命全権公使を歴任した。
 '28(S3)奉天総領事に赴任すると、関東軍の謀略により張作霖爆殺事件が発生。軍部の外交介入を批判し、外交一元化に努め、外務大臣の幣原喜重郎に関東軍の陰謀を打電するなど平和的解決を目指した。しかし、'31柳条湖事件が起こり満州事変が勃発した。'32ブラジル大使に転出された(〜'34)。'36外務省を退官。
 '38財団法人南洋協会理事長に就任。'42第二次大戦中にジャワの陸軍司政長官に任ぜられ、同.3.17ジャワ軍政監部最高顧問となった。'45敗戦により退官。享年81歳。手記に『満州事変と奉天総領事』があり、'78『満州事変と奉天総領事―林久治郎遺稿』として刊行されている。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典>


*墓石は和型「林家累代墓」。裏面は「昭和十三年十一月 林久治郎 建之」と刻む。墓誌はない。


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