東京出身。祖父は伯爵の林友幸。林荘三、しづ の長男。弟に林荘次郎、林三郎(同墓)。
1899(M32)東京帝国大学文科大学哲学科卒業。1903 ドイツ留学し教育学を研究。'04 学習院教授に就任。'06 式部官を兼ねる。
'07 祖父の後を次ぎ伯爵を襲爵。'08 東京高商教授に転じ、また宮内省式部官を兼務した。
'14.2(T3)から貴族院議員に当選すること5回、研究会に属し、'47(S22)貴族院が廃止されるまで在籍。この間、'19 文学博士として東京帝国大学教授。文部省教科書調査会長も兼務し、修身教科書や公民教科書も執筆している。
'32.7〜'35.8(S7-10) 南満州鉄道総裁に就任。ほかに母校の東京府立一中同窓会如蘭会長。戦後は霞会館監事、高千穂商科大学理事長、東海大学教授などを務めた。従2位 勲1等。享年94歳。学習院大学図書館に寄贈された旧蔵の和書1,600冊、洋書1,423冊の「林文庫」がある。
*墓石は和型「林家之墓」、裏面「昭和四十四年四月 林友春 建之」。右面が墓誌となっており、林博太郎から刻みが始まる。後妻の富貴子(1885-1944)、弟の林三郎(1880-1956)、三郎の妻の竹子(S2歿)が刻む。
*林博太郎の最初の妻は峰子(1884-1907)。男爵で外交官の園田孝吉の次女。しかし、結婚して5年後、肺病で歿す(墓誌に刻みがない)。なお園田孝吉の墓は青山霊園(1イ11-10)。後妻は富貴子(1885-1944.12.7:同墓)。篤農家・実業家・貴族院多額納税者議員の田嶋竹之助の長女。林富貴子は日本女子補導団(ガールスカウト)の初代総裁を務めた。イギリスから日本に来たガールガイドたちを自宅に招き、日英親善に努められた。富貴子没後に3人目の妻の金子と結婚した記述を散見したが墓誌には刻みはない。
*林博太郎は3男7女の子どもがいる。長男は早死した博正。二男の博仲(1909-1929)は男爵の鹿園実博の養子。三男の林友春(1915-2004)は林家を継ぎ、墓所建立者。長女は早死した幸子。二女の孝子(1906生)は化学者で東北帝国大学教授の藤瀬新一郎に嫁す。その子の藤瀬裕は浜松医科大学教授。三女の寿子(1911生)は男爵・ガールスカウト日本連盟第3代会長の宮原旭に嫁す。四女の妙子(1912生)は安田善四郎の三男で安田商事会長の安田新に嫁す。五女の淑子(1913生)は男爵の鹿園直治に嫁す。六女の美恵子(1921生)は子爵の井上勝英に嫁す。七女の徳子(1923生)は学習院大学名誉教授の木越邦彦に嫁す。
*祖父の林友幸(1823.3.18-1907.11.8)は山口藩士。明治維新、戊辰戦争で功をなす。内務少輔、元老院議官などを務める。子爵から伯爵に陞爵。のちに貴族院議員、宮内顧問官、枢密院顧問官となった。墓は青山霊園(1ロ17-7)。弟の林荘次郎の妻は男爵で奈良華族の中川興長の娘の貞子。弟の林三郎は志賀直哉の学習院中等科時代の級友であり、里見弴は志賀と林三郎をモデルに小説『友達の見舞』を執筆した。
*林博太郎から家督を相続した三男の林友春は東洋教育史家であり学習院大学名誉教授。友春の妻の貞子は牧野伸顕の孫、式部官を務めた牧野伸通の長女。林貞子は幼児教育の専門家で松濤幼稚園の創設者、東海大学名誉教授も務めた。友春と貞子の間には1男3女を儲ける。長女の富美子は三井家当主三井高公の四男の三井之乗に嫁ぎ、若葉会幼稚園理事長。二女の絢子は富国生命保険社長の小林喬に嫁いだ。絢子の次女は衆議院議員で国務大臣で入閣した堀内詔子。三女の茂子は源氏物語の研究者で、KDDI顧問を務めた楢原常栄に嫁いだ。林家の家督を継いだ長男の林友敬。友敬の妻は小百合。長男は林友顕(1971生)。友顕は千聖の名で音楽家・PENICILLIN のギター奏者として活躍。