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Mary Agnes Hathaway

ハサウェイ,メアリー・アグネス

Mary Agnes Hathaway

1863.12.2(文久3)〜 1939.3.13(昭和14)

明治・大正・昭和期の宣教師、教育者

埋葬場所: 外人墓地区 1種 4側

 アメリカ・ニューヨーク州ブリストル出身。普遍主義の家族で育つ。1888 ジェネシーウェズリー大学(Genesee Wesley University:メソジスト教会により設立された神学校で、シラキュース大学の前身)を卒業。卒業後は10年間、ニューヨーク州の学校で教鞭を執る。その後、ロンバードカレッジ(Lombard College)の女性学部長を務める。
 1905.5 米国宣教師協会(メソジスト・プロテスタント教会)から日本への宣教師に選ばれ来日し、静岡の教会に仕える。
 '06〜'09 日本での女子教育・幼児教育に力を注いだキャサリン・M・オスボーン(Catherine Osborn)が休暇のため帰国している間、東京文京の同仁キリスト教会の女子寮ブラックマー・ホーム(Blackmer Home for Girls)の暫定監督者に抜擢され務めた。オスボーンが再来日し戻った後もブラックマー・ホームに留まり働き続けた。この間、'23.9.1(T12)関東大震災で自身も被災をしたが被災者支援を行う。
 '25〜'29 米国に帰国し、日本のことを考えながら、WNMA(普遍主義女性国家宣教師協会)のフィールドセクレタリー(人権団体の担当)を務める。'29(S4)再び日本に来日し、ブラックマー・ホームに戻る。人種や民族の垣根を超えキリスト教を介して人権に基づく普遍的権利を大切にして日本を愛した宣教師のひとりである。
 '32 一線を退き引退。祖国米国に帰国しないことを選択。日本の友人が神奈川県逗子に家を購入してくれたため、没するまでその地で余生を過ごした。享年75歳。

<HARVARD DIVINITY SCHOOL LIBRARY(英文翻訳)など>


Mary Agnes Hathaway

*墓石には十字架の下に「Mary Agnes Hathaway」の名と生没年月日等の英文の刻みがある。墓石の前のカロートが墓誌となっており「井家重雄 1888.12.21-1949.2.6」「井家光子 1900.8.10-1992.12.26」「南波操 1888.2.18-1965.7.20」の三名が刻む。


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