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はなぞの きんとし

花園公季

はなぞの きんとし

1873(明治6)〜 1926.9.11(大正15)

明治・大正期の公家、子爵

埋葬場所: 12区 1種 7側

 公家。閑院家150石。花園家13代当主。父は12代当主の花園実延(さねのぶ・1851-1882 同墓)。花園家は正親町三条実教の次男の花園公久を花園家初代とする。正親町(おおぎまち)家は藤原北家の流れをくむ。
 1874(M7)実延は琵琶・波龍を献上した。これは伝承では、後陽成天皇(在位:1586-1611)勅作とし、慶長の頃に花園公久が造ったとされるもの。
 1884.7.8(M17)公季が子爵を授爵。

<華族歴史大事典>
<日本の名門1000家>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*公季の「季」は正式には「子」ではなく「千」が正しい。読み方は「きんとし」。

*墓石正面は夫妻の戒名が刻む。台石に「花園」。公季の戒名は慈明院清公觀大居士。妻は慈妙院静風喜觀大姉。父の実延の戒名は普樂院實譽浄觀大居士。妻は妙樂院立祥貞觀大姉。公季の嫡男の花園公栄も眠る。戒名は法樂院一乘公覺大居士。妻は慈潤院仁徳日梅大姉。

*墓所には8基。正面右から花園家五輪塔、12代当主の花園実延と妻の立子、13代当主の花園公季(妻の戒名は前面に刻むが、側面に没年・俗名がない)、14代当主で墓所建之者の花園公榮と妻の梅次の墓石が建つ。墓所右側は入口から地蔵型墓石(鶴子、定子、水子)、花園勝丸と妻のスミ子、花園實昌の墓石が建つ。墓所左側には善洋日輝信士と記した墓標が建つ。


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