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べっぷ りょうぞう

別府良三

べっぷ りょうぞう

1892.7.20(明治25)〜 1953.12.18(昭和28)

大正・昭和期の海軍軍人(中将)、燃料畑の大御所

埋葬場所: 19区 1種 12側

 三重県出身。海機21期。1912(M45)海軍機関少尉候補生となり津軽乗組。'13(T2)海軍機関少尉となって平戸乗組。 翌年、 榛名乗組。'15中尉となり響乗組、'17 潮乗組、若葉乗組を経て、'18日進分隊長心得。'18大尉となり、翌年より海大選科学生となる。 '22燃料廠製油部部員および研究部部員、製油部部員となる。'24少佐、'25.7.9〜'26.3.4欧米各国出張。 '29(S4)中佐、'31.5.9〜'31.10.10ドイツ出張。帰国後、那智機関長。'32佐世保軍需部第二課長、翌年大佐。 '35燃料廠製油部長、横鎮出仕、'39少将。'41太平洋戦争勃発時は、第二燃料廠長、馬警附、佐鎮出仕。'43.11.1海軍中将。 '44第六燃料廠長、軍令部出仕を経て、待命、予備役となる。同年末より軍需局事務嘱託。海軍燃料畑の大御所として活躍した。
 戦後は公職追放。海軍の遺産を土台に海軍時代の仲間たちと日本汽確製作所を設立し社長に就任。 また東洋曹達工業株式会社(東ソー)社長を務める。'50公職追放が解除され、昭和石油より常務取締役として迎え入れられる。 これは、徳山か四日市の海軍燃料廠跡地を払い下げてもらうための布石として、海軍燃料畑の大御所であり三重県出身の別府に白羽の矢がたったのだ。 '55四日市は昭和石油に払い下げられることが閣議決定(徳山は却下)され、四日市の石油化学発展のもとになった。この決定を待たずして、'53別府は逝去。享年61歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


*墓石正面「別府家之墓」。戒名は良辰院釈酒国油然居士。墓誌には享年62歳と刻む。

*四日市にある「白髭神社」には、'40に建立した海軍少将時代の別府良三が謹書した石標が残っている。当時、'39より四日市燃料廠臨時建設委員会の委員長を務めていた。


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