青森県出身。本名は馬場登。海軍予科練14期生として海軍航空隊に入隊し、特攻隊員として出撃を待つ間に終戦を迎えた。戦後は実家に戻り、職を転々とするが、絵勉強を始め、映画館などのポスターや看板を描くようになりました。
漫画家を目指すようになり、児童文学者の白木茂と出会い、大阪の出版社を紹介され、1948(S23)赤本漫画『怪盗カッポレ団』を出版。上京して、小学館の「小学一年生」のイラストを担当。'50から集英社の「おもしろブック」で野球漫画『ポストくん』を連載し、児童漫画家として人気を得る。'54年からの連載『ブウタン』で第1回小学館漫画賞を受賞。
その後、漫画から絵本にシフトし、'64『きつね森の山男』で産経児童出版文化賞を受賞して、絵本作家として活路を見出す。'67代表作となる、とらねこ大将と10ぴきの仲間の愉快な冒険物語『11ぴきのねこ』をこぐま社より刊行し、手塚治虫、福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と称される人気作家となった。「11ぴきのねこ」シリーズ全6巻は250万部を超すロングセラーとなる。外国語にも翻訳され、'85「11ぴきのねこマラソン大会」がボローニャ国際児童図書展エルバ大賞を受賞するなど国際的にも評価を得た。他の主な作品に、'70から14年に渡り日本経済新聞に4コマ漫画『バクさん』を連載。'83群馬県での“あかぎ国体”で、動物マスコット「ぐんまちゃん」(初代)を制作。ほかに『おおかみがんばれ』『アリババと40人の盗賊』『ブドウ畑のアオさん』など多数。'95(H7)紫綬褒章を受章。日本漫画家協会賞文部大臣賞など受賞。 漫画家の絵本の会などに所属。胃癌のため逝去。享年73歳。没翌月、勲4等旭日小綬章追贈。
【『11ぴきのねこ』誕生秘話】
『11ぴきのねこ』はこぐま社の社長の佐藤英和と二人三脚でつくられた。馬場は「お腹を空かせた猫が魚を食べるために頑張る話を描きたい」という想いから創作をはじめる。「魚は大きい方がいい!」「ネコは1匹よりも、何匹かいたほうがいい。でも何匹にするか?」二人の話しは膨らむ。「1匹は大将、あとの10匹が兵隊だ」「なぜ11ぴき?」「じゅう・いっ・ぴき!」という発音が元気が良くて気に入った。このような感じで決定していったそうだ。
『11ぴきのねこ』はストーリー内容に懸念もあった。まず、主人公が名前のない野良猫であること。そして、普通であれば、退治される魚はなにか悪さをして人々を困らせているという理由があるものだが、野良猫が狙っている大きな魚は、何も悪さをしているわけではないこと。残酷ではないかと思われる可能性があるのではないかとの懸念だった。しかし、馬場は自身の戦争経験や終戦直後を経験してきている身。「子どもたちはお腹を空かしているし、お腹いっぱいになりたいと願っている。世の中に残酷と言われても、子どもたちが喜んでくれれば良い」と思い出版を強行。結果は予想に反して大人気となり、2回目の産経児童出版文化賞を受賞した。もちろん、作品には集団心理や団結効果、リーダーシップ等の描写と意外なストーリー展開が特徴で、かわいいキャラクターが人気を博した背景もある。『11ぴきのねこ(と)〜』の題名で以降6作にわたって出版され、数々の賞を得た。
第27回 「11ぴきのねこ」誕生秘話 馬場のぼる お墓ツアー ※再UP
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