徳島県徳島市徳島本町出身。本名は佐野昌一。号は海十斎。
代々は阿波徳島の御典医。小学生の時に一家は神戸に移住。神戸一中を経て、早稲田大学理工科電気工学を専攻。逓信省電務局電気試験場に勤めながら、機関誌に推理小説や探偵小説を書き始める。
1928(S3)雑誌「新青年」から依頼を受け、探偵小説『電気風呂の怪死事件』を発表し本格的に文壇にデビュー。以後、「新青年」や「少年倶楽部」などに推理・探偵小説・空想科学小説・冒険小説を執筆し、SF小説の新生面を開いた。理化学的トリックや人体改造、異星人の侵略テーマを得意とし、「日本SFの先駆者」と称された。「SF」は「サイエンス・フィクション」の略。
海野十三のペンネームの由来は、麻雀が大好きゆえに「麻雀は運が十」という考えから、「運が十さ」をもじって「海野十三」としたと伝えられているが、問われるたびに違った答えを話しているため正しくは不明。なお、'34 多くの文士や映画俳優などとともに麻雀賭博容疑で検挙されている。
軍人を希望するも徴兵検査で第二乙種でなれなかったが、'41.10 海軍従軍作家として徴用令状が届き、翌年、'42.2.11-3.28 重巡洋艦青葉に乗艦できたことを喜ぶ。しかし健康を害し、同.4.30帰国。以降、船に乗ることもなく終戦を迎え、戦後は戦争協力者として公職追放にあった。探偵小説家で公職追放されたのは、海野と水谷準の二人だけである。
海野十三のペンネーム以外でも様々な名義で執筆している。終戦直後は戦争責任を自ら取るという意味で海野十三名義の使用を一時取りやめ、丘 丘十郎(おか おかじゅうろう)名義で科学小説を執筆していた。他にも、蜆 貝介(しじみ かいすけ)、栗戸 利休(くりと りきゅう)名義で科学雑誌に科学解説記事を書き、京 人生(きょう じんせい)名義で野球などの漫画を発表した。なお、電気関係の解説書や虫食い算の入門書を執筆した際には本名の佐野昌一名義。翻訳も手掛けており、SFの父と称されたジュール・ヴェルヌ『海底旅行』やSFの巨人と称されたハーバート・ジョージ・ウェルズ『透明人間』などがある。
敗戦直後、十三は一家自決するつもりで、遺書まで用意していたが思いとどまり、執筆に専念。しかし、'46.2.10 友人で作家仲間の小栗虫太郎の死がきっかけで、引きこもることが多くなり、また肺を病み喀血が始まる。三年後、結核のため逝去。享年51歳。
海野十三は温厚で誠実、思いやりの深い人柄であり、作家仲間たちからも愛された。そのエピソードとして、海野十三の没後、連載中だった作品『少年探偵長』の残りを横溝正史が海野名義で執筆し遺作として発表。横溝代筆が明かされたのは、それから 43年後の1992(H4)『海野十三全集』が出された時であった。なお、これ以外の海野の連載中だった作品も『未来少年』は高木彬光、『美しき鬼』は島田一男が残りを書き上げたといわれている。