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うまこし ぶんたろう

馬越文太郎

うまこし ぶんたろう

1859(安政6)〜 1941(昭和16)

明治・大正・昭和期の実業家、相場師

埋葬場所: 3区 1種 25側

 愛媛県越智郡東伯方村有津(今治市)出身。先祖は喜多浦八幡神社の神官。次男として生まれたため神職を継がず、塩の商人の道を歩み成功をおさめ、「塩文」の愛称が付けられた。
 今治商業銀行の常務を経て、上京し、日本橋蛎殻町で金貸し 兼 相場師となる。当時(大正時代)の東京市の金融業者には駿河台の武藤三治、本所の鰕原万吉、麹町の梁瀬万吉らをはじめ、富士商会、関東信託等があった。馬越は「店先がきれいに掃除されてないような連中には絶対、金を貸さない」と言って追い返した逸話がある。
 1930(S5)前年秋に米国で起き世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響で、日本でも昭和恐慌という日本経済が危機的な状況に陥った。 その世間の状況とは真逆に、相場で成功をし、〈昭和5年全国金満家番付(長者番付)〉で資産1000万円として前頭に番付される大富豪となった。大富豪になっても自身は質素倹約な生活をしていたという。
 晩年は今治救護院の設立、馬越育英会の発足と社会事業に貢献し、郷里の生徒の修学旅行代金を全て肩代わりするなどした。 これらの功績を讃えるために、郷里の北浦小学校(現在:廃校)の脇に、'36(S11)石工者の馬越栄造の手により「馬越文太郎翁像」が建立された。享年82歳。没後、'43渡辺鬼子松編『馬越文太郎』(馬越育英会)が刊行された。


墓誌碑 墓所

*ドーム型の墓石に「馬越家之墓」。左側に「昭和四年 九月 馬越文太郎 建之」と刻む墓誌碑が建つ。相場で大富豪となる前年に建立した墓所であることがわかる。


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