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うえき だいざぶろう

植木第三郎

うえき だいざぶろう

1870.6.1(明治3)〜 1955.2.8(昭和30)

明治・大正・昭和期の陸軍放射線医学教育者

埋葬場所: 15区 1種 10側

 舞鶴市に生れる。1891(M24)第三高等中学校医学部卒。94陸軍三等軍医、日清戦争に出征、98陸軍軍医学校副官心得となり、校長森林太郎(鴎外)に直属。 同年11月ドイツ留学中の同校教官芳賀栄次郎が小型X線器械を軍医学校に送り、植木に器械の操作を命じた。東京帝国大学理科大学の水木友次郎に操作法を学んだ。 X線の利用が増加するに及び、各師団の病院・日本赤十字社病院に備え付けられるに至ると、組立て性能検査を行い、操作技術を教え後進を養成した。 1915(T4)第十三師団軍医部長、翌年、陸軍一等軍医正に累進、'18退職し市井の一医人となった。東京都武蔵野市にて没。

<平凡社『日本人名大事典 現代』>
<MATSU様より情報提供>


植木第三郎碑

*墓石正面は「植木家之墓」。墓所右側に「植木第三郎碑」があり、表面には「日本於ける診療X線の創始者 明治三十一年十一月東京帝国大学理科大学物理学教室 水木友次郎先生と共に」と刻む。 裏面には「岡山医科大学放射線科教室 原三正先生  今市放射線技術史研究室 今市正義先生  の論文による 昭和五十八年二月 子及び孫 曾孫 玄孫 建之」とある。 墓所左側には陸軍歩兵上等兵 植木彰 戦歴碑が建つ。


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