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うえだ もりなが

上田守長

うえだ もりなが

1907(明治40)〜 1986.4.18(昭和61)

昭和期の医師、医学博士

埋葬場所: 16区 1種 17側

 山形県新庄市出身。豊津(小倉)藩士で、幕末に奮武隊奇兵隊士として活動した上田環太郎(同墓)の長男。
 総務庁恩給局顧問医。精神医学研究所会長。東京武蔵野病院長などを務めた。1967.1(S42)宝生流謡曲教経嘱。'71.10.23(S46)藍綬褒章、'77.4.29勲3等旭日章。著書に『ソ連精神医学施設―視察報告』 (1964)がある。享年79歳。没後、従4位追贈。

<ジャパンWHO was WHO 物故者事典1983-1987>
<墓誌碑より>


墓所

*墓所は元は上田環太郎墓石が正面であったが、2011年より、正面に洋型「上田家」、右側に和型「従六位 勲五等 上田環太郎 / 室 上田志加子 之墓」、左側に十字を刻み洋型「医学博士 上田守長 / 松子 之墓」が建つ。 墓石の裏面は受章年月日の経歴が刻む。正面の「上田家之墓」墓石の左隣りに墓誌も建つ。上田守長はルカ、松子はエリザベツと刻む。守長は80才と刻む。父の環太郎は1946.2.10歿の83才。守長の子息である上田守次は宮城県石巻市中央にて東日本大震災(2011.3.11)の犠牲者で72才。


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