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うちまる さいいちろう

内丸最一郎

うちまる さいいちろう

1877(明治10)〜 1969.4.3(昭和44)

明治・大正・昭和期の機械工学者

埋葬場所: 12区 1種 1側

 福岡県豊前市三毛門出身。豊津中学、第五高等学校に入学。同級生に寺田寅彦らがいる。夏目漱石に習い、夏目家の正月の歌留多会には何回も出席するなど親交があった。
 1902(M35)東京帝国大学機械工学科卒業。翌年同大学助教授。『蒸気汽罐』『蒸気機関』『蒸気タービン』『瓦斯及石油機関』の工学書を出版した。当時の工学書のほとんどが外国語書物であったため、日本語の内丸の書物は学生から研究者まで幅広く読まれた。'11欧米に留学し、各国の水車、水力発電、蒸気タービン、ディーゼル機関などを見学し、そこで得た新しい知識などを先に出版した本の内容に加筆し改訂した。もちろん、新たな本も上梓した。'32(T6)教授。'33工学博士。自動車や航空機の技術発展など工学技術が飛躍的に発展したこの時期、全著書の改訂を実施するなど著書の改訂に熱心に取り組んだ。'37機械学会会長を歴任するなど、在職36年で日本の産業界に俊秀を送るとともに著書で学界、産業界に多大の貢献をなした。'38(S13)定年退職し、日産自動車、日立製作所の技術顧問となり、70歳を迎えた際に退いた。享年91歳(墓誌には94歳と刻む)。没後、遺族が内丸家の古書画や民俗資料等を多数、豊前市に寄贈された。

<ぶぜん人物誌>


墓所

*正面和型「内丸家之墓」、裏面「昭和十年十月一日 最一郎 建之」。墓所左側にも和型「内丸家之墓」、右面に内丸最一郎の弟の内丸勇(S13.9.3歿・52才)が刻む。墓所右側に墓誌がある。墓誌には最一郎の長女の米子、弟の勇、妻の武子、長男の正三が刻む。


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