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うちだ さだごろう

内田定五郎

うちだ さだごろう

1909.2(明治42)〜 1957.7.31(昭和32)

昭和期の社会運動家、政治家

埋葬場所: 3区 1種 32側

 茨城県東茨城郡小川町出身。内田兼太郎、ちよ の4男として生まれる。
 1929(S4)日本大衆党に入党し労働運動に身を投じる。全労及び総同盟の執行委員となる。繊維・映画・演劇・医療関係の諸組合を指導した。
 '47.4.30 第2回東京都議会議員選挙(第1回統一地方選挙)に板橋区から日本社会党公認で出馬し初当選。'51.4.30 第3回東京都議会議員選挙(第2回統一地方選挙)で連続当選。日本社会党が右左に分かれた時には右派に属した。
 '55.4.23 第4回日本社会党右派公認として東京都議会議員選挙(第3回統一地方選挙)で3期連続当選した。この間、日本社会党中央委員をつとめた。享年48歳。

<墓誌碑より>


*墓石は洋型「内田家」、裏面は内田定五郎の略歴が刻む。右側に墓誌が建つ。戒名は廣德院政道心清居士。


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