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うちだ えいいち

内田栄一

うちだ えいいち

1901.3.25(明治34)〜 1985.7.27(昭和60)

昭和期のバリトン歌手、音楽家

埋葬場所: 6区 1種 3側

 京都府出身。名前の正しい表記は榮一。1925(T14)東京音楽学校本科卒業。ドイツの声楽家のネトケ=レーヴエに師事。
 '27.2(S2)開始されたNHK放送のオペラメンバーらと、オペラの研究や紹介をすることを目的に、日本初のプロ合唱団「ヴォーカルフォア」を結成し主宰。翌年「ヴォーカルフォア第1回研究発表演奏会」を開催、内田はバリトン歌手として参加。第一次放送オペラは、'30まで全18回放送された。内田はヴォーカルフォア合唱団の運営をし、'31〜'37 第二次放送オペラの全19回に出演した。
 並行して、ソリストとしても活動し、近衛秀麿指揮の新交響楽団(後のNHK交響楽団)にバリトンソロで出演。 '35「トスカ」のアンジェロッティ以来、藤原歌劇団でソリストを務めた。また「フィデリオ」では合唱指揮もおこなった。
 レコードに関しては、戦前から戦中にかけて数多くの吹込みを行っており、時代的に特に軍歌が多く、その中でも、'40.11 ポリドールレコード発売の『月月火水木金金』が大ヒットした。この曲は海軍省海軍軍事普及部推薦曲として内田栄一・ヴォーカルフォア合唱団の歌で発売されたものの、当初は全く売れなかった。初版700枚のうち返品率は7割。しかし、日本放送協会職員が当初は違う曲を流すところ、誤って『月月火水木金金』の曲を流してしまう。このミスでラジオ放送されたことをきっかけに、またたく間に流行歌として広く国民の間に親しまれるようになったというエピソードがある。結果、戦時下の中で40万枚を売り上げた。
 戦後は「日本語の美しさを歌う独唱会」などの活動を長く行い、東洋音楽専門学校(東京音楽大学)、自由学園、日本大学、上野学園大学で講師を務め、東邦音楽大学では教授。停年退官後は東邦音楽大学名誉教授となる。'83 勲4等旭日小綬章。急性骨髄性白血病と肺炎を併発し逝去。享年84歳。

<日本芸能人名事典>
<20世紀日本人名事典>


碑

*洋型「内田家之墓」、裏面は墓誌となっており源助、八尾のみ刻む。墓石右側に並ぶように「音楽の道に生涯をかけて日本語の美しさを歌いつづけた内田栄一を讃えて、妻千代子 愛をこめて この碑を捧げる 昭和六十三年七月廿七日」と刻む碑が建つ。墓所左側に墓誌が建ち、墓誌は「榮一」と刻む。妻は千代子(H15.10.17歿・94才)。



第172回 月月火水木金金 バリトン歌手 内田栄一 お墓ツアー


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