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おおた きへい

太田喜平

おおた きへい

1875(明治8)〜 1957.8.27(昭和32)

明治・大正期の外交官

埋葬場所: 2区 1種 13側

 静岡県出身。1903(M36)東京商業高等学校卒業後、第12回外交官領事館試験に合格。
 '05.6 在牛荘領事館領事官補(牛荘〈ニユーチヤン〉現在の遼寧省営口)に着任。'06.8 萩原守一が在奉天総領事に任官する際に随行を命ぜられ、奉天総領事代理として転任した。日露戦争後における満州問題の重要性を認識した上での館員配置の役目として任務に当たった。
 '07.4.15 在 哈爾濱(ハルピン)総領事館事務代理として着任。1909.8.24 在 牛荘領事館領事館長として再び牛荘に任命された(〜'15.10.9)。'16〜'20(T5-T9)在 広東総領事、 '20総領事 兼 台湾総督府事務官を歴任し、ロンドン総領事に就任。『英国鉄工業状況』を著す。'23(T12)退官。享年82歳。

<游淸第三記(上)内藤湖南記>
<在奉天総領事 萩原守一>


墓所

*墓所には4基。正面真ん中の和型「太田喜平之墓」、左面に戒名「瑞徳院大徹喜禅居士」と没年月日、享年が刻む。喜平墓の右側は洋型十字を刻み「アガタマリア 太田恒」、裏面「1888.12.10生 1971.4.8召天」。恒は喜平の妻、父は陸軍大将・男爵の安東貞美。喜平墓の左側に三角錐の墓石、「MONA」と「RYOKO」の二名の名がローマ字で十字架と没年月日と共に刻む(裏面に太田遼子の没年月日等が刻む)。墓所左手側に洋型「太田家」、右面「平成元年五月 太田 弘 建之」。裏面は墓誌となっており、太田弘(H19.10.9歿・享年95才)、太田幸子(H22.3.15歿・享年90才)が刻む。


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