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おおしま きよし

大島 清

おおしま きよし

1913.3.31(大正2)〜 1984.5.15(昭和59)

昭和期の経済学者

埋葬場所: 5区 2種 10側

 新潟県出身。1930(S5)新潟高等学校に入学したが、翌年、全学ストに関係したため退学処分。'37中央大学専門部法学科を経て、'41東北帝国大学法文学部経済学科卒業。南満州鉄道に入社。大連、北京、奉天、長春に勤務し、敗戦後'47帰国。この間、'42満鉄調査部事件が起こり、調査業務を禁止され転勤を命ぜられている。
 '49法政大学経済学部助教授となり、大原社会問題研究所研究員に就任。マルクス経済学における農業経済学専攻。'52教授。'60「農産物価格と価値法則に関する研究」により経済学博士。 '65.4経済学部長就任、同年.10法政大学理事、同年.11法政大学常務理事(〜'66.4)。'67経済学部長。'68法政大学大原社会問題研究所所長となった。'74理事長。'79.4〜'81.3経済理論学会代表幹事。'83停年退職、名誉教授。
 主な著書に、'58『農地改革と土地所有』、'62『資本と土地所有』、'64『西方からの手紙−ヨーロッパ経済紀行−』、'68『高野岩三郎伝』、'70『米と牛乳の経済学』、'72『日本経済と農業問題−日本農業はこれでよいのか−』、'74『人に志あり』、'81『食糧と農業を考える』、'83『標的を撃つ』など多数刊行。
 停年後に前々から宣言をしていた「高野房太郎伝」の編訳執筆に取り掛かっていた。動機は以前執筆した高野岩三郎の実兄が房太郎であり、自身が所属している大原研究所の初代所長であったからだ。 まず、高野房太郎論文集の編集に取り掛かり、翻訳をすまし、改めて原文にあたって訂正の筆を加え、着々と作業を進めていた矢先、突然の発病により志半ばにて、がん性腹膜炎のため逝去。享年71歳。 解説を伏せることができずに逝ってしまい未完となってしまったことに対し、法政大学大原社会問題研究所の後輩である二村一夫(名誉研究員・法政大学名誉教授)が遺族と文庫編集部の依頼により、『高野房太郎論集』を引き継ぎ、'97完成させ、『明治日本労働通信−労働組合の誕生』を刊行した。 更に二村一夫は、これも未完に終わっていた『高野房太郎とその時代』を2000年より書き下ろし連載をした。

<物故者事典>
<二村一夫の追憶記「未完の高野房太郎伝──大島清先生のこと」>


墓石

*墓石には「天女温人有志 清 書 / 大島」と刻む。カロートが墓誌となり名前と生没年月日が刻む。妻は百合子。


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