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おおもり りゅうたろう

大森龍太郎

おおもり りゅうたろう

1928(昭和3)〜 2004.11.29(平成16)

昭和・平成期の銀行家(新潟中央銀行)

埋葬場所: 16区 1種 15側

 新潟県新潟市出身。新潟相互銀行社長を務めた大森健治(同墓)の長男。東京大学法学部卒業。王子製紙会社に14年間勤務を経て、1964(S39)新潟相互銀行に入る。'89.2.1(H1)金融機関の合併及び転換に関する法律に基づく許可によって普通銀行に転換し改称した新潟中央銀行の頭取に就任した。
 頭取として、3大融資プロジェクト・ゴールデンリング構想を主導。これにともない、新潟ロシア村(1993.9開業:30億の融資:2003休園し翌年閉園)・柏崎トルコ文化村(1996.7.27開業:2001休業、翌再開、2004閉鎖)・山梨県の富士ガリバー王国(1997.7.26開園:2001.10.28閉園)を開業。 柏崎トルコ文化村は4万9千平方メートルの敷地に45億円をかけてイスタンブルの街並みを再現した。富士ガリバー王国はオウム真理教の跡地に建て話題を呼んだ。 他にも、ソ連投資環境整備の設立、新潟沖合に五千メートルの国際空港の提案や環日本海交流を推進するなど全国的に脚光を浴びた。 これらは自分で提唱し、記者会見でアピールし、人集め、カネ集めまでやる姿勢から、「実業家頭取」と称された。

 「銀行というのはカネの貸し借りの前にまず産業起こしを考えなければならない。昔の三井、三菱、興銀などはすべてそうだった。それが銀行の社会的使命というものだ」

 「産業起こしをあとまわしにしてヤレ担保がどうの金利がどうのといっているから銀行批判が起きる。住専問題なんかも起きるべくして起きたといえる」

 「産業起こしを優先させる考え方は王子製紙に14年間もいたからこそ身についた。ストレートに銀行に入っていたらとてもとても」

 多くの名言を残し実行してきたが、バブル崩壊の煽りと行き過ぎた融資により、1999.6金融庁は新潟中央銀行が自己資本不足に陥ると判断、早期是正措置を発動。 銀行は同.9までに350億円の増資計画を立てて経営再建を目指したが不調に終わり、9月下旬以降、預金流出が加速、新たな割り当て先も見つからず、自力再建を断念。 同.10.2新潟中央銀行は金融再生委員会に対して金融再生法適用の申請を行い事実上破綻した。2000東証1部上場を廃止し、年末までに金融整理管財人は第四銀行・大光銀行・群馬銀行・東和銀行・八十二銀行・東日本銀行の間で営業譲渡契約を締結。2001.5.11までに新潟中央銀行としての営業を終了し、同.6.30会社は解散。
 大森を含む経営陣は旧商法の特別背任容疑で告発・立件され、逮捕・起訴された。2004.6.29(H16)東京高裁から商法の特別背任罪で2年2月の実刑判決を受け、栃木県の刑務所に収監された。同.11.29刑務所内で体調を崩し、搬送先の栃木県大田原赤十字病院にて腸閉塞で逝去。享年76歳。なお、大森の構想で融資したテーマパークは新潟中央銀行破たん後は資金繰りに苦しみ軒並み閉園した。

<新潟日報 訃報記事など>


*墓石は洋型「大森家」。墓石裏面が墓誌となっており、父の大森健治、大森龍太郎らの名前と没年月日が刻む。


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