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おおくら ちゅうぞう

大倉鈕蔵

おおくら ちゅうぞう

1865(慶應1.1.15)〜 1940.1.14(昭和15)

明治・大正・昭和期の裁判官、大審院判事、弁護士

埋葬場所: 19区 1種 3側

 三重県出身。桑名藩士の大倉善太夫の二男。1911(M44)兄の権六郎から分家。
 1888(M21) 大学法科大学仏法科卒業。判事試補を経て、1890 判事に任じられる。大津地方裁判所判事、京都地方裁判所判事を務め、京都地方裁判所部長、1895 大阪控訴院判事、会計検査官懲戒裁判所裁判官、神戸地方裁判所部長を歴任。1903 大審院判事に就任。'26.7(T15)大審院判事の職を退き、弁護士業務を開始した。正3位 勲2等。享年75歳。

<人事興信録>


*墓石前面「大倉家之墓」。左側に墓誌が建ち、大倉鈕蔵から刻みが始まる。妻はミつ(1872-1940.8.8)、山口県出身、高津雄介の長女。

*大倉鈕蔵とミつ の間に5男2女を儲ける。長男は大倉尭文(1895.8-1974.12.12:同墓)、二男は逓信技師の大倉尭信、三男の大倉尭明は神戸海上火災に勤務。四男の大倉東雄(1909.8-1943.5.9:同墓・絵画を修行)。五男は武雄。長女の よし は政治家・帝国通信社社長の竹村良貞の長男の竹村良克に嫁いだ。二女は千代子(1906-1971.7.3:同墓)。

*大倉尭文は大倉鈕蔵の長男 古河銀行に勤めた銀行家。妻は順子(1907-1998.12.25)は島村吉三郎の娘。北樺太石油取締役などを務めた実業家の島村金治郎の妹。大倉鈕蔵の孫で尭文の長男は大倉文雄(1927-2020.12.25:同墓)で新聞人やテレビ業界人として活躍した。


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