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おおぶち たけお

大淵武夫

おおぶち たけお

1905.2.11(明治38)〜 1958.10.13(昭和33)

大正・昭和期の洋画家

埋葬場所: 24区 2種 6側

 兵庫県姫路市出身。1924(T13)東京美術学校彫刻科選科塑造部に入学。在学中から洋画に専念し、'26 第5回国画創作協会展(第1回国画会展)に『静かなる港』出品して、国画会奨学賞を受賞した。'29(S4)同校卒業。'30国画会第5回展に『卓上静物』『花』『曇り日のハルピン』を出品し樗牛賞を、'33国画会第8回展に『午後の風景』『横浜』ほか2点を出品し再び国画奨学賞をうけた。
 '34渡欧。''35パリでサロン・ドオトンヌ、サロン・チュイルリイ等に出品。'36フランス、ドイツ、イタリアなど各地を遊学し帰朝。'37国画会第12回展に『モレーにて』『通りの朝』『画室の一隅』『ヴァーンブの道』『靴屋』などの滞欧作を発表。国画会同人に推薦され、以降も国画会会員として活躍した。'39第3回文展に参加し『北京の春』出品。国画会第14回展で『奈艮公園』『大和路浅春』を出品。この年から陸海軍嘱託となり記録画を描くために従軍をし多数制作した。
 '46戦後、日本美術展覧会委員を委嘱される。'53国画会第27回展で『花のある静物』『鏡のある静物』『桂川湊谷』を出品。'56国画会第30回展で『長崎跳望』『長崎南山手』『長崎』を出品。長埼県依嘱により『西海国立公園』、また姫路市依嘱により『姫路城』を制作した。
 '53頃より大阪各地で個展をひらき、'58神戸大丸でも個展を開催。また同年、自己の主宰の研究会「みねるば会」第1回展を開催した。写実的画風で、風景、静物画を多く描いた。脳溢血のため東京・武蔵野市の自宅で逝去。享年53歳。'59 第33回国展に遺作20点をが陳列発表された。松方氏旧蔵コレクション・東京国立近代美術館 本館・工芸館企画展に出品所蔵されている。

<日本美術年鑑>
<20世紀物故洋画家事典>


*同墓には妻のふみゑの他、息子で多摩美術大学美術学部長、多摩美術大学教授を務めた大淵武美(おおぶち たけみ 2003.6.23歿)も眠る。 大淵武美は勝井三雄と共編集『エディトリアルデザイン』(1975)や『広告デザインの誕生から現在まで 多摩美術大学創立60周年記念展図録』(1995)などの著書も残している。

*墓石は自然石を加工し前面「大淵」。この墓石は大淵武美と同じ多摩美術大学で教授し彫刻家の中井延也(1934-1999)の製作である。 台座に「1990年11月建立 / 大淵武美 / 製作 中井延也」と刻む。裏側の台座が墓誌となっており、氏名と没年月日が刻む。


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