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おの よしお

小野義夫

おの よしお

1880.10(明治13)〜 1956.10.13(昭和31)

明治・大正・昭和期の実業家、政治家

埋葬場所: 18区 1種 3側

 大分県大分郡南庄内村(由布市)出身。小野日雲の二男。1918(T7)家督を相続す。
 1905(M38)早稲田大学法学部卒業。神奈川県の依頼で満州の利源調査委員に就任し、絹、綿の調査を実施した。そのことがきっかけで、'07 古河鉱業に入社し、本社課長を務めた。
 ラサ島燐礦株式会社(ラサ工業)の債務整理で実績を上げ、同社常務取締役、古河鉱業重役、関西硫酸監査役などに従事。第一次世界大戦中に古河鉱業から3年間、ロシア帝国のサンクトペテルブルクに派遣され、日本商社の活動の統一を主張して円滑な商取引の実現に貢献した。
 その他、ラサ工業取締役会長、田川炭礦取締役会長、東洋鉱山取締役社長、日本鑿泉採鉱取締役社長、昭和木材工業取締役社長、茶路炭礦取締役社長、肥料協会会長、東京商工会議所理事、日本鉱業協会理事、日本経営者連盟理事、日本関税協会理事、経済団体連合会(日本経済団体連合会)評議員、燐酸肥料協会顧問、全国肥料商業組合連合会顧問なども務めた。
 戦後、'50.6.4(S25) 第2回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で出馬して初当選。'56.7.8 第4回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で出馬して連続当選した。政治家として、自由党総務、 参議院法務委員長、裁判官弾劾裁判所裁判官、参議院自由党副会長などを務めた。しかし、連続当選した同.10.13 議員在任中に胃病のため逝去した。享年76歳。勲3等瑞宝章追贈、正五位に叙される。

<政治家人名事典>
<大衆人事録>
<人事興信録>


*墓所には二基建つ。正面和型「小野義夫之墓」、右面に歿年月日、戒名、行年、「正五位勲三等」が刻む。戒名は本壽院殿義山日高大居士。並んで左側に和型「小野鋭之墓」、右側「西暦一九五三年五月二十二日歿 本量院妙鋭日信大姉 行年七十二歳」と刻む。墓所左側に小野鋭の墓誌碑が建つ。「小野鋭は千葉県佐倉藩小倉謙を祖父とし祖母は多喜子 父 譲 母 規矩の息女として生れ 小野義夫の妻となる 小倉家の墓地は品川天妙国寺に在り」と刻む。


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