磐城国石城郡磐崎村字下船尾(福島県いわき市)出身。父は小野良意(同墓)。伯父は新撰組参謀及び文学師範の伊東甲子太郎。伊東甲子太郎の弟で、新選組隊士にして御陵衛士の鈴木三樹三郎の娘のはな子(同墓)と1903(M36)結婚した。
1890(M23)福島師範学校卒業後、福島県の小学校訓導、校長を歴任。1900 東京高等師範英語専修科卒業後は、福島県・福岡県・愛媛県・三重県の師範学校や中学校で英語教師を歴任。
'21(T10)松山の北予中学校教師の時に出版した受験参考書『英文之解釈』を出版、これは大正から昭和、1972年(S47)にかけて1050版、発行部数600万部の超ロングセラーとなる。
1930教職を辞して上京。『英語の単語研究法』など英文法・英単語など数多くの受験英語に関わる著書多数刊行。受験生の間では「小野圭(おのけい)」という愛称で世代を超え親しまれた。英語学習参考書の基本スタイルを確立し、受験英語教育のパイオニアと称された。英語の受験勉強に関する講演などでも活躍した。享年83歳。
<朝日人名辞典> <講談社日本人名大辞典> <20世紀日本人名事典> <碑文など>
*墓所入口に鳥居が建つ。墓石は和型「小野家之墓」、裏面には先祖の墓は福島県石城郡磐崎村の梵音寺にあり、良意が同郡の渡邊村の神宮久保木氏より芳子を娶り、一家を創立した。圭次郎が昭和八年二月に居を東京に定め、霊土を郷里より多磨霊園に移した旨が刻む。S11.11竣工、誌は「圭治郎」と刻む。「治」と刻んでいる。
*墓石左側に自然石「良意之墓」と刻む圭次郎の父の墓が建つ。右側手前に「小野圭次郎碑」が建つ。碑は小野圭次郎の略歴や碑の建立時点で『英文之解釈』は993版していることなどが刻む。また1930(S5)渋谷区代々木西原町に居を構え、霊地を多磨霊園に設け、郷里より分骨埋葬したことも刻む。墓石裏面は居を東京にしたのは昭和八年と刻むが、碑には昭和五年と刻む。碑の書は門弟の宗像馬之助。「昭和二十八年一月 嗣子 小野豊樹 建之」と刻む。右側後ろ手側に句が刻む墓誌碑が建ち、その裏面が墓誌となっている。父の良意を初代、圭次郎は二代、豊樹(1903-1985)が三代、清が四代と刻む。妻は はな子。
第303回 受験英語教育のパイオニア 小野圭 こと 小野圭次郎 お墓ツアー
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