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おなが よしやす

翁長良保

おなが よしやす

1890.4.10(明治23)〜 1972(昭和47)

大正・昭和期の実業家(旭硝子)

埋葬場所: 26区 1種 27側

 沖縄県首里市金城町出身。1908(M41)沖縄県立中学校を卒業し、第一高等学校を経て、'16(T5)東京帝国大学独法科卒業。卒業後、旭硝子株式会社に入る。
 累進して門司出張所長となり、手腕が認められ、'24 欧米視察。帰朝後、東京支店長に抜擢される。'26 本社勤務となり、総務部長を務め、'37.5(S12)取締役に就任。後に常務取締役。
 他に三菱化成監査役。ほかに会社重役を歴任する。また沖縄財団評議会会長をつとめた。俳句をよくし、号は日ねもす。享年82歳。

<沖縄県人事録など>


*墓石は和型「翁長家之墓」。左側に墓誌があり、墓誌は妻のツル(S31.6.6歿・行年62)から始まる。施主の良保が昭和三十八年三月三十一日に沖縄の墓地より、翁長良茂、ツル、良慶、琴子の遺骨を分骨埋葬された旨が刻む。良保の戒名は良壽院鉄心樹徳居士。

*妻はツルとの間に1男5女。長女は恭子、次女は文子、三女は幸子、四女は洋子、長男は一彦、五女は直子。

*同墓には「ホトトギス」発行所員などを務めた長女の翁長恭子(1919-1992.9.11)、長男で運輸省船舶技術研究所や日本造船研究協会技術顧問を務めた翁長一彦(1929-2003.9.3)も眠る。翁長一彦には「従四位 勲三等 アスタスチスメ」と刻む。


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