メイン » » » 奥 九州雄
おく くすお

奥 九州雄

おく くすお

1905(明治38)〜 1960.2.13(昭和35)

昭和期の実業家(電気音響)

埋葬場所: 5区 1種 18側

 福岡県出身。「弱電」の将来に着目し、揺籃期のラジオ業界にて考えあぐみ研鑚を積み、1948(S23)電気音響研究所を創立した。終戦時の混乱の市場に商品位の変成器を送る。 社名を電気音響株式会社に変えて以降は、本社を東京大田区におき発展させる。中でも、'51より開発を始めたテレビジョン用偏向線輪は、品質と價格に他の追従を許さず、我が国需要の大半に応じ、部品業界に来到の地歩を確立するに至った。 社会への奉仕と人の和、従業員の成長即社業の伸展の理念の下、卓越せる経営と技術刷新への不断の熱意より発したる成果である。社運の発展の途上にて逝去。享年54歳。
 なお、電気音響株式会社は奥九州雄没後は、引き続き、主にトランス関係を製造し、カラーテレビの発展期には偏向ヨークやフライバックトランスを製造、シェアを世界一にまでにした。 また、「Dokorder」のブランドでテープレコーダーをアメリカで販売したり、アーケードゲームを製造。 アーケードゲームでは、'79東京大学生が開発した「平安京エイリアン」というコンピューターゲームを翌年アーケードゲームにして発売しヒットを飛ばす。 しかし、1982村田製作所が株式を55%保有しその傘下となり、1999(H11)完全に村田製作所に吸収合併され会社は消滅した。

<奥九州雄像碑文などより>


墓所

*墓石は和型「奥家之墓」。並んで右側に観音像、左側に「初代社長 奥九州雄氏之像」が建つ。墓所左側に墓誌がある。戒名は謙徳院雄誉豊州音響居士。墓誌には55歳と刻む。妻はキイ。 「初代社長 奥九州雄氏之像」は電気音響株式会社・電子工業株式会社・群馬電気音響株式会社の従業員一同が建之者である。右面に略歴板がはめ込まれている。 内容を現代文に変えて上記している。墓所内には燈籠が建つが、これは電気音響株式会社役員企画委員一同から献上されたものである。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。