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おこびら てるひこ

大河平輝彦

おこびら てるひこ

?〜 1939.12.8(昭和14)

明治・大正・昭和期の牧師、アドベンチスト

埋葬場所: 20区 2種 18側

<詳しい略歴は調査中>

 鹿児島県出身。薩摩藩の士族の子として生まれる。明治時代にアメリカに渡り、パシフィックユニオンカレッジ(PUC)・ヒルズバーグ大学に留学。講演会に出席し「三天使の使命」を受け入れ、アドベンチストとなる。
 1894.6(M27)卒業を間近に控えた大河平は、祖国への熱い思いを止めることができなくなり、「私は帰国して日本に終わりの時代の使命を宣べ伝える責任を感じています。私と一緒に日本に来てくださる方はいませんか?」と涙ながらに人々に訴えた。心を動かされた当時の学長のウィリアム・C・グレンジャーが日本に行く決意を固める。学長の職に留まるよりも、困難な日本伝道の道を選んだ。これが日本に来た最初のセブンスデー・アドベンチスト(SDA)ミッショナリー(宣教師)となる。
 1896.11.19(M29)グレンジャーと共に帰朝。東京・麻布区本村町に家を借り「英語聖書研究会」を立ち上げ、劣悪な環境の中、日本のSDAの伝道を東京から始めた。1898.1.1 芝公園の近くに移転し「芝和英聖書学校」と改称し開設。同.4.30 日本のセブンスデー・アドベンチスト最初の4人の青年(川崎杢太郎・国谷秀・根本俊蔵・松倉寅吉)がバプテスマの求道者に授けられた。同.6.1 同地に最初の教会「東京教会」を設立し、出版事業「末世之福音社」を同じ敷地内に設立した。
 伝道活動は困窮を極め、グレンジャーは一年中同じコートで過ごし、夏は風呂敷で頭を覆い蚊の来襲に耐えたという。しかし、無理がたたり、来日して3年目、1899.10.31 グレンジャーは病に倒れ逝去。享年55歳。何事にも礼儀正しく控えめで、人を思いやる温かい心の先生であった。
 1903.6 末世之福音社は千駄ヶ谷へ移転。'07.1「第七日安息日基督再臨教会」名称採択。'15.1.9杉並桃井尋常小学校分教室として教会小学校(8年制)開校。'19.10.1 東京杉並に小学・中学・高校併設の天沼学院開校。天沼学院は5年制中学校・3年制選科として開校している。教育目標は、知・徳・体の調和した育成。全国各地から41名の入学生を迎える。'26(T15)天沼学院を男子部は日本三育学院、女子部は日本三育女学院と改名し千葉県君津へ移転。本学に学ぶものが、聖書の示す愛を土台とし、神と隣人に対して十分な奉仕をするため、人間の備える霊性(spiritus)、知性(mens)、身体(corpus)の全ての面を最大限に発達させ、円満な人間形成を実現すること(To Make People Whole Through Christ's Love)、これが「三育教育」の目的とする。'28(S3)東京衛生病院看護婦学校(東京衛生病院看護学院)を天沼に開校。'29 東京衛生病院を開院。
 大河平の晩年の詳細はわかりかねるが、大河平が没するまでは着実と伝道されていった。その後、SDAは苦境となる。'43.9.20 太平洋戦争中、キリスト教信仰のゆえに治安維持法違反の容疑で、特高警察により院長以下主要教員が検挙・連行される事件が起こる。女学院も同様でありセブンスデー・アドベンチスト教団は全業務停止とされる。'45 春、東京衛生病院が日本医療団に強制移譲され、教団の全財産は売却され整理された。これにより事実上、SDAは消滅した。
 しかし、終戦後、同.9.29より東京・天沼にて安息日学校を再開、11月に東京天沼の元教団本部で教会業務再開のため協議会を開催。'47天沼教会再組織及び全財産が返還され、東京衛生病院も再開された。'48財団法人日本三育学院に改組し、日本三育学院神学校と称するも、'51学校法人三育学院に改組、2年後、日本三育学院カレッジと称し牧師養成の神学校の運営を始める。以後、日本のアドベンチスト教会は、100を超える教会と、1万5千人余の信徒を有し、教会活動とあわせて、教育、医療、食品、出版、放送、福祉など諸事業を通して、人々の心と体の健康に奉仕。
 その後は、'71 三育学院短期大学・英語学科へと発展、'78千葉県夷隅郡大多喜町に移転、'87看護学科を新設していくが、2016(H28)閉校して、2008 県南唯一の看護大学となる三育学院大学を開校して現在に至る。校内の講堂を「グレンジャー記念ホール」、カレッジ校舎を「大河平輝彦記念ホール」として名を残している。

<セブンスデー・アドベンチスト教会:アドベンチスト教会の歴史>
<天沼教会の歴史など>


墓所 おこびら てるひこ

*墓所には二基。左側は「大河平輝彦之墓」。裏面に第七日安息日基督再臨教會を開始した旨が刻む。右側は「第七日安息日 基督再臨教會之墓」。

*セブンスデー・アドベンチスト教会は、聖書主義に立つキリスト教・プロテスタントの教会である。「セブンスデー」とは、「第7日」の意味で、これは週の第7日である聖書の安息日を聖日として守る教会であることを表している。また「アドベンチスト」とは、聖書の重要な教えである、キリストの再臨(アドベント)を待望する人々を意味する。

*補足:ウィリアム・ミラーが、聖書とコンコルダンス(聖書語句索引)だけを頼りに聖句と聖句を比較しながら研究を重ねた結果、「イエス・キリストは1844年10月22日に再臨される」と称し、再臨運動のリーダーとして北米で約10万人規模の盛り上がりをみせた。しかし、その日にイエスの再臨はなく、人々は大失望を経験、そして混乱。そんな中、もう一度聖書を調べなおして真理を追究しようとする小さなグループが発足。ミラーの解釈の何が間違いであったのかを詳しく調べ、ついには第7日安息日とイエスの再臨とが深く結びつく真理であることを発見。さらに神は、神の民を励ますためにエレン・ハーモンという17歳の少女を選ばれた(後のエレン・ホワイト)と、彼女を中心にグループを発展させていく。1853安息日学校をスタートさせ、1860「セブンスデー・アドベンチスト」という名称を採択。1863アメリカ・ミシガン州において最初の総会を開催。30人の牧師と約3500名の信徒から始まり、現在の信徒数は世界で約2,000万人とされる。なお、1889(M22)日本にはアブラム・ラ・ルーが横浜港と神戸港に上陸し、文書伝道を行ったが、2週間の滞在であったこともあり全く広まらなかった。1896にグレンジャーと大河平輝彦が日本には定着させていくことになる。


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