兵庫県出身。兵庫県大書記官の岡本貞の次男。東京帝国大学卒業。応用化学を学ぶ。
卒業後、東京瓦斯に入社したが、翌年 1904(M37)、日米合弁会社として発足したばかりの大阪瓦斯会社に技師として採用された。アメリカ人技師長カロール・ミラーの指導のもとに新工場建設に携わり、ガスの最新技術を修得。
1906 名古屋瓦斯が設立されると、技師長として迎えられる。ガスの製造、供給設備を新設する一方、ガスを知らない市民の啓蒙に努めた。まずガス器具の展示会場を設けて、ガス灯の点火や炊飯の実演を行ったり、ガス炊飯器の街頭販売にも自らが立った。また、多数の社員を動員して一般家庭を訪問させ、ガスの使用方法や利点を説明して勧誘にあたらせた。
'07.10 当時はわずか700戸ほどであった名古屋市内に初めてガスが供給され、ガス灯の明るさや、熱源として簡単で便利でかつ清潔であることが市民に認識される。これにより需要は一気に増大した。ガス供給から一年で軌道に乗せた手腕を高く評価され、1911 異例の33歳の若さで取締役として経営に参画することになった。
しかし、この頃からタングステン電球の輸入や水力発電の開発によって、安価な電気の供給が可能となり、灯火に重点を置いていたガス業界に大きな脅威となった。岡本はこの局面を打開するために、'13(T2)ドイツとイギリスを視察。そこで今後のガス業界は灯火から燃料用に方向転換するべきだという結論に達する。
帰国後、燃料用ガスの分野を開拓するとともに、ガス先進国で学んだ経営の合理化を行い、ガス料金の値下げに踏み切る。'21 名古屋瓦斯社長に就任したが、翌年、関西電気との合併により東邦瓦斯(東邦ガス:TOHO GAS)が設立され初代社長に就任した。
その後、東京瓦斯、岐阜瓦斯、九州瓦斯の相談役もつとめ、各地のガス会社の経営にも参画して技術指導に当たり、ガス事業の発展につくし、「ガス博士」と呼ばれた。
その他、日本自動車、東邦証券、名古屋桟橋倉庫などの要職につき、西日本実業界で活躍した。享年56歳。'69(S44)東邦瓦斯株式会社が『岡本桜伝』を刊行している。
<コンサイス日本人名事典> <講談社日本人名大辞典> <人事興信録> <初代社長 岡本桜 100th TOHO GAS HISTORY(東邦ガス)>
*正面大きな自然石に「岡本櫻 / 妻 淑子 之墓」が建ち、裏面にはそれぞれの没年が刻む。右側に「岡本先生顕徳之碑」、左側に和型「岡本家累代之墓」が並んで建つ。裏面「名古屋市中邑流町六十二番地 大正六年十一月 岡本櫻 建之」と刻む。ただ左右裏面と墓誌となっているが江戸時代の文政から明治初期に亡くなった人たちが刻む。墓所右手前に洋型「倖」と刻む墓石が建つ。墓所左手前に墓誌が建つ。墓誌には長男の岡本純一(T4.7-S56.8.27)、三男の達郎(T9.12-H4.5.3)、達郎の子の徳郎(H22.10.26没・66歳)、達郎の妻の美和子(H25.1.21没・行年89歳)が刻む。
*岡本櫻の墓は名古屋市天白区八事霊園にもある。
*瓦斯=ガス
第399回 ガス事業の先駆者 ガス博士 岡本櫻 お墓ツアー
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