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おかみ ひこぞう

岡見彦三

おかみ ひこぞう

1822(文政4)〜 1862.7.7(文久2)

幕末・明治期の中津藩士藩儒者

埋葬場所: 14区 1種 17側

 岡見清淳の次男として生れる。名は清熙(きよひろ)、彦三は俗名。
 岡見家は代々江戸在勤の家系で、江戸藩邸の寄合格ないし供番を勤めた。 蘭学を好み、自ら私塾を開いて教えたこともある。1850(嘉永3)藩から派遣され佐久間象山に入門し、洋式砲術を学ぶ。 1855(安政2)ごろ、松木弘安(寺島宗則)や杉亨二らを中津藩邸に招き、蘭学塾の開設に尽力し、1858福沢諭吉を教師として招く。 福沢の『福翁自伝』に「岡見彦曹」と記されている。 また、横浜に店を持って生糸の輸出、外国雑貨の輸入なども試み、活字を買い入れて印刷業を開いたこともある。

<頌栄女子学院百年史>
<MATSU様より情報提供>


墓誌

*頌栄女子学院の創立者、岡見清致は彦三の甥であり、清致の弟秀作は彦三の養子となり彦蔵と名乗った。

*墓誌には以下のように刻む「奥平中津藩開明派の重臣。江戸藩邸において蘭学塾を開く。 中津藩士の福沢諭吉を招き、慶應義塾の基となる。1998(H10)8月品川清光院より改葬」

*福沢諭吉著書の『福翁自伝』「大阪を去って江戸に行く」のところには以下のように記されている。 「私が大阪から江戸へ来たのは、安政五年二十五歳の時である。 同年江戸の奥平の屋敷から、御用があるから来いといって、私を呼びに来た。 それは江戸の屋敷に岡見彦曹という蘭学好きの人があって、この人は立派な身分のある上士族で、 如何かして江戸の藩邸に蘭学の塾を開きたいというので、様々に周旋して、書生を集めて原書を読む世話をしていた。」 岡見彦曹と岡見彦三は同一人物である。

<「世紀をつらぬく福澤諭吉」HP管理人梶原様より情報提供>


*ちなみに品川清光院は中津藩奥平家の東京菩提寺。歴代藩主の墓は史跡に指定されている。

<五輪塔様より情報提供>


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