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おか こうき

岡 弘毅

おか こうき

1884(明治17)〜 1939(昭和14)

明治・大正・昭和期の社会事業家、地方自治

埋葬場所: 9区 1種 16側 77番

 1897(M30)共立学校を中退し長崎鎮西学院に転じた。1905高等科を卒業し、同校の英語・数学教師に就いたが、同年陸軍に入隊。 3年間の兵役義務を終え、09内務省に出仕。日英博覧展出陳準備として「感化救済事業及賑恤救済小史」等を翻訳。 11東京府内務部へ転出。井上友一知事の意を受け17(T6)東京府慈善協会(東京府社会事業協会の前身)を設置。 その趣意書・財政・人事・組織・規則は岡の原案とされる。24東京府社会事業協会常務幹事の職に専念するため東京府を退官。 27(S2)東京府社会事業協会保育分科会で発表した「託児所令制定要綱」は保育一元化論の嚆矢であろう。 東京府社会事業協会発行の「社会福利」「方面通信」、中央社会事業協会の「社会事業」などに、数多くの論稿を残した。 39突然の死に関係者は悲惜をもって「岡弘毅君追悼録」を「社会福利」24号(40年2月)に特集した。享年56歳。

<高知人名事典>


墓誌

*正面の岡家之墓から右側に岡弘毅の墓が建つ。左は墓誌がある。


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