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おばら きよしげ

小原清成

おばら きよしげ

1912(明治45)〜 2008.8.22(平成20)

昭和期の電気工学者(照明学の権威)

埋葬場所: 16区 1種 19側

 東京帝国大学卒業後、東芝に入社。戦時中、電波兵器の生産に当たった。小原が陣頭指揮をとり、特殊回路用セラミックコンデンサの耐圧測定法の研究。 課長時代にはコンデンサ合否判定用テスタの試作製造工程の効率化をはかった。戦後は、1954(S29)川崎球場のナイター照明と投光器、'60トランジスタ蛍光灯、'62新しい照明の展開、SCR電球調光方式、'66道路照明技術の基礎的問題などの研究を行った。
 '75〜'88東京理科大学理工学部電気工学科教授。視覚信号に立脚した空港照明システムの開発に従事。我が国の空港システム(航空灯火)は、複合された多数の灯火群による視覚実験データがないことから、新しいICAO(国際民間航空機関:国際基準)への対応から国内基準の見直しが必要とされた。 空港照明システムの基本である視覚信号特性の要件を明らかにし、ICAO基準の勧告への対応を含む新技術を確立。空港灯火の配列効果などを研究した。
 '77 第23回照明学会賞受賞。'82 第1回日本照明賞「視覚信号に立脚した空港照明システムの開発」で受賞。主な著書に、'83『住宅 店舗照明』、'96『新しい照明ノート』(共著)など多数。 '89(H1)『照明をはかる』の著書では、照明の質とは何かに鋭く迫り、元来、照明とは手にとって確かめるハードではなく、照明の環境を目で確かめるか、何かの手段ではかることで評価するソフトであること。 照明には、ランプや照明器具が必要だが、これまでそこに重点を置きすぎたきらいはないだろうかという疑問から、照明の深さを追求している。
 東京理科大学柔道部師範、柔道部OB会鵠志会会長。'86よりロザリオの聖母会理事長も務めた。享年96歳。


墓所

*墓石は洋型前面「In Peace and Eternity」と刻む。Eternity=永遠、永久、永代などと訳す。右側に墓誌がある。墓誌には6名の刻みがあり、小原清成の戒名は釋叡照。 妻は小原禮子。墓誌から推測し、もともとこの墓所地は禮子の家、寺尾家であり、父の重義、母のふで、長男で21歳で亡くなった覺が眠る。 また、同墓所にはジャーナリストで『ストップ・ザ・ジャパニーズ −投書が語るアメリカの声−』などを著している生田保年(2011.5.21歿 79歳)も眠る。


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