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いわした しょうよう

岩下小葉

いわした しょうよう

1884.11.28(明治17)〜 1933.4.24(昭和8)

明治・大正・昭和期の児童文学出版人、翻訳家

埋葬場所: 22区 1種 16側

 本名は天年(てんねん)。熊本県鹿本郡中富村(鹿本町)出身。 寺院の長男に生れたが、家を継ぐことを望まず上京、早大英文科入学。
 在学中キリスト教に入信、教会学校の活動に熱心に参加、その活動を通じて児童文学に関心を持ち、児童出版の編集者を志したという。 1909(M42)早大を卒業、島村抱月の推挙によって実業之日本社に入社と決まったが、健康診断の結果静養を命じられて一時帰郷、翌年正式に入社した。 まず「日本少年」の編集に加えられて実務修得の上、同年8月号「少女の友」から星野水裏主筆のもとで編集に携わった。 '13(T2)1月には最初の単行本『涙の物語』(実業之日本社)を刊行。'18バーネットの『秘密の花園』を本邦初訳出版。 '14に「幼年の友」の主筆に任命され、4月号から四年間その任にあった。 '20水裏が出版部長に転出したあとを受けて「少女の友」主筆に任命される。 一時「婦人世界」の主筆に転じたが、'27(S2)には「少女の友」主筆にもどり、以後'32勇退するまでその職にあった。 退職後も翻訳作品を寄稿するなどひきつづき「少女の友」との関係は深かったが、翌年死去。
 「少女の友」'33年6月号には内山基ほかによる追悼記事が掲げられ、のちに読者有志は墓前に石燈を献じて追慕した。 同じく墓所内には岩下天年墓誌碑も建ち簡略歴が建つ。

<コンサイス日本人名事典>


墓所

*墓石正面に十字架の下に「岩下天年墓」と刻む。墓所内の碑は実業之日本社社長の増田義一の言葉で刻む。


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