愛知県出身。岩瀬久右衛門(同墓)の3男として生まれる。'27(S2)分家。
1914(T3)東京帝国大学工科電気科卒業。逓信省に入省し、逓信技師となる。'20 関東担当となり、翌年より一年間、電話事業研究のため欧米に出張。'23 帰朝後、樺太、次いで台湾総督府の逓信省工務局を歴任。この間、'24 『最新自動電話交換』を刊行。
前納式卓上公衆電話機(赤電話)の開発・実用化に貢献。これにより、1957.2(S32)第2回前島密賞。同.5 旭日小綬賞。同.6 勲4等瑞宝章受章。長年に渡り電気通信事業及びその機械製造の技術の進歩発展に寄与。他に田村電気製作所取締役を務めた。享年67歳。
<大衆人事録 東京篇> <帝国大学出身名鑑> <像の台座の略歴など>
*墓石は「倶會一處」、裏面「昭和九年二月 正五位 勲四等 岩瀬鉄次郎 建之」。墓石の左側に岩瀬鉄次郎の銅像が建つ。台座に簡略歴が刻む。胸像の裏面には「従四位勲四等 岩瀬鉄次郎像 昭和丗二年五月廿四日 六十七才にて歿す 同丗三年五月 池上璉 作」と刻む。墓所には右に1つ、左に2つの墓誌が建つ。右側の墓誌が岩瀬家の墓誌であり、岩瀬鉄次郎の戒名は亜誠院貫譽銀心居士。妻の文子(M29-H3.7.8)は千葉県出身、広尾敏雄の二女。墓所左に手前に岩瀬鉄次郎の二女の久榮(T13-H30.10.25)と夫の小林義朗(H18.12.6・行年90才)が刻む。奥に並んだ墓誌は岩瀬鉄次郎の四女の久江(S6-H30.10.25)、夫の品田光男(H27.1.9歿・86歳)。
*岩瀬鉄次郎と文子の間には2男4女を儲ける。長男の清明(T6-S20.4.10)、二男の千秋(T14-S27.3.13)、長女の道子(T5-S23.1.22:横井金平に嫁ぐ)は20代の若さで亡くなったため同墓に眠る。二女の久榮は小林義朗に嫁ぎ、四女の久江は品田光男に嫁いだが、両夫妻も同墓に眠る。なお、三女は芳子(S2生)。
*倶會一處(倶会一処:くえいっしょ)とは「仏説阿弥陀経」に出てくる「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」というご文(もん)で、同じ阿弥陀さまのお浄土でまた共に会わせていただくという意味。
【赤電話】
主に店頭などに設置されていた電話の通称。また一般に、公衆電話。かつて、電電公社・NTTが設置した委託公衆電話(主にお店などに設置)が赤色だったことから「赤電話」と呼ばれるようになる。1995.4(H7)廃止。
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