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いその しゅうへい

磯野周平

いその しゅうへい

1878.10.13(明治11)〜 1933.10.16(昭和8)

明治・大正・昭和期の海軍薬剤少将、薬博

埋葬場所: 2区 1種 3側

 群馬出身。1904.6.22(M37)東京帝国大学薬学部在学中に海軍薬剤学生となる。'05.6.12 東京帝国大学薬学部卒業。同.6.26 海軍中薬剤士(初任)として佐世保海軍病院試験所員となる。翌年初めより佐世保海軍病院付となった。
 '06.10.20 横須賀海軍病院付に異動し、'07.9.28 海軍大薬剤士に昇進した。'08.5.15 呉海軍病院所員に異動し、'09.7.3 呉海軍病院付 兼 看護術練習所教官に着任。'10.4.2 東京帝国大学大学院修学。修業後、'12.4.20 横須賀海軍病院付で復帰。
 '13.12.1(T2) 海軍薬剤少監に進む。この年は『試薬反応彙纂』を編集刊行。また「本邦人の常尿に就て」を薬学雑誌に論文を出し、日本人の尿に関して研究した。'16.4.22 薬学博士を取得。'17.12.1 海軍薬剤中監に進級し、軍医校や経理校の教官を務める。'19.9.23 海軍薬剤中佐に役職が切り替わる。'21.12.1 海軍薬剤大佐に昇進し、欧米出張。'22.7.22 帰朝。
 '26.12.1 海軍薬剤少将に累進。'29.11.30(S4)軍令部出仕。'30.6.10 待命、同.6.20 予備役となった。退役後は、第一製薬取締役となるが、在任中に逝去。享年55歳。従4位 勲3等。
 海軍の歴史の中で海軍薬剤科で少将まで昇進したのは、磯野周平が初めてであり、以降、一条正一、坂本佐太郎、清水辰太、玉虫雄蔵、都丸俊男、鍋島豊太、村田秀のみである。

<帝国海軍提督総覧>
<20世紀日本人名事典など>


*墓石は和型「磯野家之墓」、裏面「昭和八年十二月建之」。右側に墓誌があり「海軍薬剤少将 従四位 薬学博士 勲三等」と刻む。戒名は顯徳院義鑑周照居士。妻は ひで。


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