東京出身。父は教育学者の石谷信保(1901.8.18-1988.7.14 同墓)。13歳の時に長崎で被爆。
水戸一高在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義(フレンド派)のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入。
筑波大学教育学部卒業後、国際基督教大学助手となり、アメリカに留学。明星大学講師の頃、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行。明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇された。また、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加。1969(S44)法政大学助教授、後に教授。倫理学や平和教育学を講じた。
'74大野道夫らと、税金のうち防衛費分6.4パーセントを払わないという「良心的軍事費拒否の会」を結成し不払いを実行。
これは確定申告の際、一定の方法で算出した割合の金額を、軍事費だからとして不払い(支払い留保)措置にすることである。
日本では「陸海空軍及びその他の戦力は、これを保持しない」という憲法の条文があるのだから、本来、「軍事費分税金支払い留保」の自由は、市民的権利の行使として保障されるべきだ。というのが主張である。
日本友和会(FOR)。良心的軍事費拒否の会の代表。法政大学名誉教授。ぼうこうがんのため、横浜市金沢区の病院にて逝去。享年70歳。
葬儀は近親者で済ませ、7月7日に追悼礼拝会がキリスト友会東京月会会堂(東京都港区三田)で行なわれた。妻は石谷美智子。
没後、妻が編著した追悼記念本である『平和づくりを使命として 追悼・石谷行』が刊行された。
【ジャテックの脱走兵支援活動】
1965(S40)ベトナム戦争反戦平和運動団体である「ベトナムに平和を! 市民文化団体連合」(ベ平連)が作家の小田実を代表として発足された。
この小田ら運動の中核となった少数の幹部はアメリカ軍の「良心的脱走兵」の逃走支援も行い、これらの活動はベ平連とは別に「JATEC(Japan Technical Committee to Aid Anti War GIs―反戦脱走米兵援助日本技術委員会)」として運営された。
JATECは、正規の出国手続きを踏まない形での国外逃亡の幇助などの、非合法活動も含むあらゆる手段を用いて日本から脱走兵を秘密裏に出国させたものの、その数は数人に留まり、多くの脱走兵はアメリカ軍へ帰還した。