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いしかわ まさおみ

石川正臣

いしかわ まさおみ

1891(明治24)〜 1987.11.29(昭和62)

昭和期の産婦人科学者、細胞学者、
日本最初の性転換手術の執刀医

埋葬場所: 18区 1種 25側

 日本医科大学産婦人科教室の教授、また日本医科大学理事。日本の産婦人科学界の権威であり重鎮。日本医科大学名誉教授。
 1951(S26)日本で最初の「性転換手術」の執刀医を務める。これは、永井明(1924- 女性名は明子)に対して行われた。 '50.8.15竹内外科病院の竹内篁一郎院長が手術の名目は陰茎癌として精巣と陰茎の除去手術を行い、翌'51.4日本医科大学付属病院で石川により日本初の造膣手術が行われた。 造膣方法は、大手術になる直腸移植法ではなく、またすでに陰茎除去済みのため反転法でもなく、「産婦の卵幕を利用」した(術後、人工膣の小指も入らない状態の狭窄であったとされる)。 造膣手術を行った石川は、マスコミの取材に対して、「私は医者ですから、患者の悪い処があれば手術します。しかし、局所切断という手術には全く関係ありません。たとえ男性の局所を切ったとしても、それだけで完全な女性になるなんていうことはありません。私は彼女のことについては単にそういった相談をうけた、という以上のことは、ここでは言えません」。と医師の患者に対する守秘義務から明言を避けている。 永井はその後、別の病院で豊胸手術を受け、27歳で手術完了。手術後は家庭裁判所に性別の変更を申し出て認められ、名前を明子と改名し戸籍の性別も女性に訂正された。女性となった永井はキャバレー歌手として活動したという。
 国内初の性転換手術が公になった背景には、海外で同じように性転換手術を行った人物の話題が出たからであった。 アメリカのジョージ・ジョルゲンセン(女性名はクリスチーナ)の「性転換」('52.2手術完了、同.12報道)より報道は後だが、手術完了は永井の方が先で、'51手術を含む性転換治療プログラムを完了したイギリスのロバート・コーウェル(女性名はロベルタ)とほぼ同時期になり、戦後では石川が執刀した性転換手術が世界最初であった可能性が高い。 近年、'98.10埼玉医科大学が日本国内初の公式な性別再判定手術をおこなったと公になったが、産婦人科学界の権威であった石川の執刀は闇医者の執刀とは異なるため、埼玉医科大学よりも日本医科大学の石川が最初であることは自明の理である〔石川は術後、経緯を含めて論文を発表するとしていたが、その後、論文は発表されておらず、また、狭窄(きょうさく:すぼまって小さい事)であったことから、完璧な成功とは言えなかったという問題もあり、異論が多数ある〕。
 '55「経口避妊薬に関する研究班」を発足し班長となる。'58日本産婦人科学会会長に就任。研究をしていた「ノアルテン錠」('57)、「エナビット錠」('60)が月経異常などの治療薬として承認され、ピルとして臨床試験を開始した。'61〜'65日本臨床細胞学会発足に伴い初代学会長に推され、日本婦人科細胞学会会長にも就任した。
 '62.10〜'74.3日本医科大学学長(3代目)・日本医科大学医学会会長を歴任した。'72.7〜'75.10社会福祉法人賛育会 賛育会病院理事長に就任。 この間、'74日本医科大学老人病研究所を開設して所長となり、60年代・70年代の産婦人科学界の重鎮として活躍した。'82.2〜同.10再び日本医科大学学長(7代目)・日本医科大学医学会会長を務めた。退任後は日本医科大学名誉学長。
 主な著書に、『産婦人科領域に於ける異状出血』('48・田村治雄共著)、『雪よりも白く―石川正臣先生講話集』('81)などがある。享年96歳。

<著者略歴など>
<インターネットマガジン『Sexual Science』2006年6月号・
日本最初の「性転換手術」について 三橋 順子>


墓所

*墓石正面は「石川家之墓」、右に石川正臣の長男で山岳中に遭難死した石川正直の墓誌碑(正臣建之)、左に墓誌。妻は直子。後継ぎで二男の純の名が刻む。

*妻の直子の父は産婦人科学者の木下正中(せいちゅう)である。木下正中は財団法人賛育会設立者であり、母性保護事業に尽くした人物。若かりし時代には日本初の医術過誤による医療訴訟を起こされたりもした。 正中の弟の木下東作は生理学者であり、スポーツの世界に運動生理学を導入した人物で、日本女子スポーツ連盟を設立し日本初五輪女子メダリストの人見絹枝らを育てた人物である。

*石川正臣の長男の墓誌碑を現代文にしての全文は下記である。 「長男の正直は、純真 寡黙 意志強靭、山を熱愛す。昭和十七年二月に六高を卒業し、山岳班員と共に白馬頂上を極めんとして、吹雪に遭い、雪庇(せっぴ:雪の塊)より転落せるも、僚友を案じ、指導者の責任を感じ、一晝夜(一昼夜)の難行を続け、遂に二十八日、赤倉澤上部に於て永眠す。行年二十二。昭和十八年二月 父 正臣 誌」

*「性転換手術」という呼び方は、2002.3.23より正式な名称を「性別適合手術」と変更した。


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