メイン » » » 石井勇義
いしい ゆうぎ

石井勇義

いしい ゆうぎ

1892.9.20(明治25)〜 1953.7.29(昭和28)

大正・昭和期の花卉園芸家、教育者

埋葬場所: 17区 1種 2側

 1911(M44)千葉県立成東中学校中退。'13(T2)小田原市の辻村農園に園芸研究生として入る。'18東洋園芸会社三軒茶屋農場に園芸主任となる。 '22花園・イシヰ・ナーセリーを開設。ここでシネラリア、プリムラなど高級西洋草花の採種をし、種子の販売業を始める。
 '26誠文堂から発刊した「実際園芸」創刊('41.12休刊し、'46より「農耕と園芸」と改名し再発刊)し主幹。 '29〜'48(S4〜S23)青山学院女子専門講師、'45〜'53恵泉女学園女子農芸専門学校(恵泉女学園短期大学園芸生活科)教授を歴任。 '50には「葉の形態によるツバキ品種の識別に関する研究」に対し、文部省より科学研究費を、'50、'51には『園芸大辞典』により文部省研究成果刊行費を交付された。
 著書に『原色花卉類図譜』、『ツバキ・サザンカ図譜』、『カーネーション・スヰートピーの作り方』、『家庭の草花』、『最新盆栽の仕立方』、『菊花栽培秘訣!』、『菊の研究』など多数。享年60歳。

<物故者事典など>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓所には二基の墓が並んで建つ。右側が「石井勇義墓」で裏面に生没年月日、台座のところに「自然神之賜 花自然之ケン」(ケン=巻の己ではなく木)と刻む。 墓碑の書は牧野結綱。左側には勇義の子息で父に継いで園芸家で『最新園芸大辞典』を著した石井林寧(1928.3.1-1986.8.9)の墓石である。

*「実際園芸」の旧字は「實際園藝」。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。