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いしい てるひさ

石井照久

いしい てるひさ

1906.11.23(明治39)〜 1973.7.16(昭和48)

昭和期の商法学者、労働法学者

埋葬場所: 21区 1種 7側

 佐賀県小城町生れ。1931(S6)東京帝国大学法学部卒。 田中耕太郎教授のもとで商法を専攻、'33同大学助教授、'44教授となり、商法、海事法、労働法などを担当。 法制審議会委員として、アメリカ会社法の制度を大幅に導入した戦後'50の商法改正事業を指導、'57国際海上物品運送法などの起草に指導的役割を果した。 また船員中央労働委員会委員、都労委委員、同会長、中労委委員、同会長などを歴任、労働争議の解決に尽力した。 '57ブリュッセルで開催された海事法外交会議に日本政府代表顧問として参加した。'67東大定年退職後は成蹊大学教授、同学長となる。 主著は『海商法概論』『商法 ?・?』『労働法総論』『海商法』『商法総則』『会社法』などある。勲一等受章。

<平凡社『日本人名大事典 現代』>
<MATSU様より情報提供>


*父は明治・大正時代の官吏で台湾総督府法務局長などを務めた石井為吉(従5位勲4等)、母は書道家で号を水華とした石井操、兄弟に陸軍中佐で戦死した石井悟一、妻で画家、画号を華葉として活動した石井幸子、全員同墓所に眠っている。

*ノンフィクション作家の関岡英之は孫にあたる。

墓誌の裏面

*墓誌の裏面(墓所正面に向く)には、
『花も八分通り 咲いたときが一番美しい
 しかし やはり満開となる
 そして それは 散るということである
 人生についてもこのことを 知ることが大切である』


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