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いしい くにじ

石井國次

いしい くにじ

1874.11.3(明治7)〜 1954.3.3(昭和29)

明治・大正・昭和期の教育家(東宮御学問所御用掛)

埋葬場所: 11区 1種 14側

 常陸(茨城県)出身。下妻藩士の石井則休・きくの二男として生まれる。1899(M32)東京高等師範学校文科卒業。福岡県豊津中学校教諭をへて、東京高等師範学校研究科に学んだ。
 1902学習院教授となる。'04日露戦争時に『戦時教育 国民の覚悟』を著す。'05初等学科主任。'08裕仁親王(昭和天皇)が学習院初等科に入学すると、卒業までの6年間主管を務めた。'14.4(T3)東宮御学問所が設置されると、'19.6(T8)まで、東宮御学問所御用掛をつとめた。
 '19(T8)初等学科長に就任。'20から一年間欧米各国へ視察のため出張。この間、秩父宮、高松宮、三笠宮の三皇族を傅教。'36.2(S11)学習院に奉じること三十有五年に至り、依願免官。直ちに宮中顧問官に任ぜられた。正3位 勲2等。享年79歳(碑には81歳と刻む)。

<平凡社『日本人名大事典 現代』>
<人事興信録>
<碑より>


墓所

*墓石は和型「石井家之墓」。裏面に「昭和十年八月 石井國次 建之」と刻む。左側に墓誌があり、戒名は純徳院殿則眞廣道大居士。妻は とも(S13.5.17歿 55才)。墓所右側に「石井先生頌徳碑」が建つ。石井先生頌徳碑の撰は衆議院議員の犬養健、書は東京教育大学教授の永島修三。碑の裏面に「昭和三十三年三月三日 故石井國次先生頌徳記念建碑會建之」と刻み、15名の名が刻む。15名の中に「故人妻 石井トミ」の刻みがある(トミは後妻であろうか。H1.2.27歿 95才)。


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