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いしはら にたろう

石原仁太郎

いしはら にたろう

1905.10.18(明治38)〜 1985.5.23(昭和60)

昭和期の実業家(スエヒロ)

埋葬場所: 15区 1種 4側

 福井県三方出身。14歳で大阪へ出て甘栗売り、砂糖販売、トラックの運転手などをした後、1925(T14)大阪・曽根崎新地の洋食店「弘得社」に入社。10年間の下働きで技術を磨き、'33(S8)のれん分けの形で東京・銀座6丁目にビフテキステーキ「銀座スエヒロ」を開業した。肉料理の大衆化のため次々と‘新作’を発表して、OLやサラリーマンの食欲を満たす。
 '66上嶋孝ら東京スエヒロ4社でスエヒロ相互株式会社設立。スエヒロ食品社長などを務めた。富士山麓にスエヒロ牧場を作り、ステーキに適した和牛品種を作ろうと考察したりとステーキ一代の人生で、'83黄綬褒章を受章。著書に『ビフテキの王様―信念の商法』がある。一方、無償の保育園事業を行ったり、故郷、福井県三方五湖に浮かぶ古民家を移築した一軒宿の旅館「虹岳島荘」(こがしまそう)を開設した。享年79歳。

<物故者事典など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は正面「石原家之墓」。


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