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いしはら いちさぶろう

石原市三郎

いしはら いちさぶろう

1873.2.10(明治6)〜 1940.8.29(昭和15)

明治・大正・昭和期の官吏、都市開発専門家、岡山市長

埋葬場所: 16区 1種 15側

 岡山県岡山市出身。東京市役所の官吏として勤務し、1913(T12)関東大震災の際に帝都復興を目指す上に設置された東京市政調査会復果局に務め、翌年.3.27 東京市区画整理局庶務課が設置され課長に就任。 「減歩緩和策として借地権の附帯せざる土地の買収に努めている而して之を道路敷地として振替へるのである」と述べ、また『土地区劃整理換地処分概説』刊行するなど、土地区画整理のスペシャリストとして活躍。 '24『特別都市計画法解説』を発刊。'29(S4)月刊誌『都市問題』に論文「菊池氏の東京市財政復興ドーズ案を読む」、「都市の新税創設に関する考察」「改正を要する現行地方課税/地方財源に対する諸家の意見」を発表した。
 第13代 岡山市長〔在任:1934.2.25-1938.2.24〕を歴任。'34(S9)着任した年に室戸台風が上陸し旭川大洪水が起きた。 '35岡山市水道通水30周年を迎え、'36岡山市民病院を開院。同年、岡山市で初のプロ野球の試合、名古屋金鯱軍 対 大阪タイガース 戦が関中球場(関西中学球場)で行われる。 '37室戸台風で流失した相生橋が完工。新しい取り組みから復興まで幅広く指揮をとり尽力した。享年67歳。

<岡山県歴史人物事典など>


*墓石前面に「石原家之墓」。右面に戒名は實相院玄達日光居士。没年月日、俗名、行年が刻む。墓石は石原豊が建之。


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